古代のイスラエル人は《鋭く人間に迫り心に突き刺さる言葉〔の力〕》を「剣」にたとえた(詩編55編22(21)節等)。ゼカリヤ12章10節「彼ら自らが刺し貫いた」とはこの比喩を踏まえれば、当時の都の人々の中の少なくとも一部から、主が御受難の際に心ない罵声を浴びせられることを預言する。
【追記】
古代のヘブライ人は《鋭く人間に迫り心に突き刺さる言葉》を「剣」にたとえた(ルカ2章35節等)。ならば当然、黙示録1章7節「彼を突き刺した者ども」は、実際には、「彼に激越な言葉を浴びせ情け容赦ない悪口で攻撃した者ども」を意味する。同節「地」はエゼキエル7章2節「地」とは同様である。
古代のイスラエル人は《鋭く人間に迫り心に刺さる言葉〔の力〕》を「剣」にたとえた(詩編55編22(21)節等)。この比喩を踏まえ、主イエスも「剣をもたらすために来た」(マタイ10章34節)と仰せになり、ルカ2章35節でも母マリアにシメオンが、この比喩を用いて御受難について預言した。
(注)別エントリー「試論:贖(あがな)いを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7823
(注)別エントリー「試論:『言葉は剣』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7862