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試論:パウロの「空中」を140文字以内で

一テサロニケ4章17節やエフェソ2章2節でパウロは、「空中」と一般的に訳されるギリシア語「アエール」という表現を用いているが、この古代の言葉は「地上界」を象徴する元素を意味し、「アエール」の英訳語「エアー」が現代人のイメージする「空中」を指すようになるのは18世紀後半以降である。

(注)別エントリー「試論:携挙がない理由を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4703

(注)別エントリー「試論:連れて行かれるのはどこ?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6151

(注)別エントリー「試論:『一人は連れて行かれ〜』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5819

【追記】

17世紀までに成立した英訳聖書の一テサロニケ4章17節にある、

”in the air”

という表現が、現代人のイメージする「空中」の意味で用いられ始めるのは、18世紀後半の有人気球飛行実験成功以降のことで、この時系列を理解するなら19世紀以降に始まる「携挙」の概念には惑わされない。

ヘブライ語旧約聖書本文には「空中」という表現が存在しない。現代人ならば「空中」と表現する領域に言及する際、ヘブライ語聖書は「地と天の間」(歴代誌上21章16節、エゼキエル8章3節、ゼカリヤ5章9節)等と表現する。ヘブライ人は創世記1章6節以下の記述に基づく世界観に立つためである。

(注)別エントリー「試論:『携挙』の否定を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6277

(注)別エントリー「ヘブライ語聖書は『空中』とは表現しない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4223

(注)別エントリー「『携挙』:ギリシア語聖書本文で徹底検証【再投稿】」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7753