マタイ5章で主は、「あなたがたは世の光」(14節)、「あなたがたの光を、人々の前に輝かせなさい。人々があなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」(16節)と仰せになり、行いを伴わぬ信仰など役に立たない(ヤコブ2章14節)ことをお話しになった。
(注)別エントリー「試論:行いを欠く信仰を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5360
(注)別エントリー「試論:『地の塩』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5586
【追記】
主はマタイ5章14節で「あなたがたは世の光」ヨハネ8章12節で「わたしは世の光」「わたしに従う者は暗闇の中を歩まず命の光を持つ」と仰せになった。同1章4節は「御言葉のうちに命があり、命は人間を照らす光」と記す。イザヤ58章6節以下では隣人に心を配り助けを惜しまない人々に光が伴う。
(注)別エントリー「試論:『世の光と一タラントン』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11353
(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章4節『命の光』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7297
(注)別エントリー「試論:『霊魂を注ぐ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13590
詩編119編105節に「〔主よ〕あなたのことばはわたしの道の光」とあるが、「ことば」は神の御教えを指すのと同時に、ヨハネ1章1節では人々に御姿をお見せになり御教えを直にお話しになる主イエスの称号でもあり、主は御自分を同14章6節で「道」、同8章12節で「世の光」だと表現なさった。
(注)別エントリー「試論:ヨハネ14章6節の『道』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9342
(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11332