主イエスはルカ6章40節でどうすれば弟子は師のようになれるか教えられた。ギリシア語本文の動詞はマルコ1章19節「〔網の〕手入れをする」と同じで「破れがないか全体を確認し、あれば修繕し、付着物を念入りに除去し、十分に洗い、現場で使い物になる完全な状態まで仕上げる」という意味である。
【追記】
主はルカ6章40節で「弟子は先生より優れた者でないにせよ、普段から十分に心の準備を整えていれば、その先生のようになれる」と仰せになった。この箇所は内容的には36節の「あなたたちの天の御父が憐れみ深い方であられるように、あなたたちもまた、憐れみ深い者になりなさい」に結び付いている。
(注)別エントリー「あなた方も憐れみ深い者となりなさい」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『主は優しい人に優しい』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『いけにえ』と憐れみを140文字以内で」も参照のこと。
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マタイ5章9節「平和を実現する人は幸い。その人は神の子と呼ばれる」ルカ6章35節「敵であっても尊重し、善を行い、何も当てにせずに貸しなさい。そうすればいと高き方である天の御父から大きな報いがあり、あなたはその方の子となる。いと高き方は恩知らずや悪人にとっても善い方だからである」。
(注)別エントリー「試論:『憐れみ深い人』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『憐れみ深い人、ヨセフ』を140文字以内で」も参照のこと。
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