【問】主イエスはヨハネ2章4節と同19章26節で母マリアのことを、「婦人」あるいは「女」呼ばわりしています。実母に対してあんまりでは?
【答】創世記3章15節で神なる主は、「蛇」に対峙する「女」について予告されました。黙示録12章は、救い主を産む「女」こそがその女性だと啓示します。
【問】どうして「女(婦人)」と「蛇(あるいは「竜」、悪魔、サタン)とは、相容れない関係なのですか?
【答】箴言3章34節は、「神は高慢な者を敵とし、へりくだる者に恵みをお与えになる」と説きます。サタンは高慢な者の象徴であり母マリアはへりくだる者(ルカ1章38節、48節)の象徴です。
黙示録12章は「女」聖母マリアと「竜」サタンとの決定的対立を象徴的に描く。それはマリアの賛歌や箴言3章34節「神は高慢な者を敵とし、へりくだる者に恵みをお与えになる」の通りで、後に主イエスも、「自ら高ぶる者は低くされ、へりくだり自ら低くなる者は高くされる」と福音書で繰り返された。
(注)別エントリー「試論:『謙遜の極み故の被昇天』を140文字以内で」も参照のこと。
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聖母は「わたしの主のお母さま」(ルカ1章43節)となられた方ながら、「わたしは主のはしため」(38節)と自称されたが、ペトロとヤコブは「神はへりくだる人に恵みをお与えになる」と書いた。「神の御独り子の母」となられた女性のへりくだりと恵み(ルカ1章28節)とは、いかばかりだろうか?
(注)別エントリー「試論:初代教会と箴言を140文字以内で」も参照のこと。
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黙示録12章9節は「竜」を「悪魔とかサタンとか呼ばれる年を経た蛇、全人類を惑わす者」などと呼び、創世記3章の「蛇」と同定する。その手口は「〔神から言い渡された掟に従わなくとも〕あなたは死ぬことがない」であり、主イエスもマタイ13章39節で「毒麦を蒔いたのは悪魔」と警告されている。
(注)別エントリー「試論:『全人類を惑わす者』を140文字以内で」も参照のこと。
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【問】カトリックでは創世記3章15節および黙示録12章の「女」をマリアと解釈し、サタンと決定的に相容れない存在だと教えますが、その対立点はどこ?
【答】マリアは人々へ神の言葉には全て従うよう勧めますが(ヨハネ2章5節)、サタンはエバへ神に従わぬ(創世記3章4節)よう、言葉巧みに唆しました。
(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『女』とサタンの対立を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「『鉄の杖』」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『女』と『竜』の対立を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「神のお告げ:受胎告知と無原罪の御宿り」も参照のこと。
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(注)別エントリー「創世記3章15節:蛇の頭を踏み砕く者は誰か」も参照のこと。
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主イエスはヨハネ14章6節で真理を自称され、1章1節は御子を「言(ことば)」つまり《人々の前に御姿を現され御自ら御教えをお話になる神》と記す。18章37節で主は「真理に属する者は皆、わたしの声を聞く」と仰せになった。福音書に収録された実際の主の仰せを軽視する人は主に属していない。
【問】なぜ母マリアは崇敬されるべきですか?
【答】神の御独り子が救い主として人間の世に来られることを預言者たちは語っていましたが同時に、救い主が生贄の小羊のように屠殺されるとも語っていました。しかしマリアは生まれて来る子の苛酷な定めを完全に理解した上で、母となることを承諾しました。
(注)別エントリー「試論:聖母崇敬の意味を140文字以内で」も参照のこと。
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