主イエスはルカ10章で、御自分の教えを受け容れることになる人々を「平和の子」とお呼びになった。イザヤ9章5(6)節ではメシアの称号の一つを「平和の君」と啓示し、またパウロはフィリピ4章9節で自分たちの神を「平和の神」と呼ぶが、ヘブライ人にとって「平和」は全ての幸福の総称でもある。
(注)別エントリー「試論:『地には平和』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『平和を実現する人』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「神の子らは人の娘たちを【再投稿】」も参照のこと。
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【追記】
ガラテヤ5章22節は聖霊の賜物の一つに「平和」を挙げる。これは古代のヘブライ人にとっては戦争のない(終わった)状態を表す以外にも、人間関係の協調・一致・発展、個々の健康・幸福・繁栄、心の(霊的な)安定、暴動・反乱のない社会や国家の安寧など、物事が好転している状況の総称でもあった。
(注)別エントリー「試論:『心も思いも』を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはマルコ4章26節以下の「種」のたとえで信仰の成長をお教えになったが、ヨハネ3章では同様の事柄をニコデモに別の表現で御説明され、同章8節は聖霊を「風」と表現する。同章とマルコ4章を比較すると、種が芽を出して日々ゆっくり成長するように聖霊は静かに働き続けると示唆されている。
聖パウロのガラテヤ書5章によれば、聖霊が働いている徴は愛・喜び・平和・寛容・親切・善意・誠実・節制(22節〜23節)であり、聖霊が不在である徴は姦淫・わいせつ・好色・偶像礼拝・魔術・敵意・争い・そねみ・怒り・利己心・不和・仲間争い・ねたみ・泥酔・酒宴(19節〜21節)などである。
(注)別エントリー「聖霊の働きか否かを確実に識別できる基準」も参照のこと。
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聖霊の七つの賜物という特別の恵みは、古代のギリシア語訳またラテン語訳のイザヤ書11章2節〜3節の記述に基づいており、
【1】知恵(上智)
【2】分別(識別)
【3】思慮(賢慮)
【4】剛毅(勇気)
【5】〔主に関する〕知識
【6】〔主に対する〕孝愛(信心)
【7】〔主に対する〕畏敬
などである。
(注)別エントリー「試論:聖霊降臨と聖母を140文字以内で」も参照のこと。
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パウロは一コリント14章33節で神は混乱(無秩序)の神ではないと記し、同30節で集会中に複数人が同時並行的に言葉を発することを禁じ37節で混乱は主の流儀ではないことを示唆した。ヨハネ17章11節等で主イエスが強く願われ使徒言行録4章32節で実現した、「一つ」に違反するからである。
主はヨハネ10章30節で「わたしと父とは一つ」と仰せになった後、17章では弟子たちのために天を仰いで祈られたが、それは御父と御自分が「一つ」であるように、弟子たちもまた「一つ」となるためであった(11節、21節〜23節)。使徒言行録4章32節「信じた人々の群れは心も思いも一つ」。
ニケア・コンスタンチノープル信条「父と一体」はヨハネ10章30節「わたしと父とは一つ」と38節に拠り、御父と御子の間には矛盾・対立・齟齬の類は一切ないことを表す。ギリシア神話では最高神ゼウスと父クロノス、クロノスと父ウーラノスの父子相剋が存在するが、キリスト教には全く存在しない。
一コリント12章以下でパウロは霊的な賜物に関し論じた。14章33節は「神は混乱(無秩序)の神ではなく協調(平和)の神」と説き、集会中の発言は順番(27節、40節)になされるべきで複数人が別々の事柄を同時並行で語ることを禁じ(30節)、それは「主の命令」(38節)であると厳命した。
ヨハネ10章30節「わたしと父とは一つ」の意味を使徒言行録4章32節は「心も思いも一つ」「持ち物を自分だけのものと主張せず共有している」と説明する。従って、御父の持ち物は御子の持ち物でもあり逆もまた然りである。ヨハネ10章38節「わたしは父の内にあり、父はわたしの内におられる」。
(注)別エントリー「試論:『真理』あるいは三位一体を140文字以内で」も参照のこと。
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