試論:「つまみ食いの信仰」を140文字以内で

主イエスはマタイ福音書の最後で、命じられた事柄は全て守るべきだと全ての民に教えるよう仰せられた。「全て」を強調された理由はパウロが二テモテ4章3節以下に記す通り、自分の思い込みを基準に人々は、自分が気に入った御言葉だけを好き勝手につまみ食いしながら、厚顔にも信者面するからである。

(注)別エントリー「試論:主イエス不在のキリスト教を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11180

(注)別エントリー「試論:『教えに耳を傾けない人』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7113

(注)別エントリー「試論:『主イエスを見失うこと』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

サムエル上15章には、「主が喜ばれるのは焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか、主の御声に聞き従うことではないか。聞き従うことはいけにえに勝り耳を傾けることは雄羊の脂肪に勝る」(22節)「反逆は占いの罪に、高慢は偶像崇拝に等しい」(23節)などと書かれており、忠実を強く勧めている。

(注)別エントリー「試論:サウル王の背信を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5689

二テモテ3章でパウロは「終わりの時」の人々の姿を記した。自分本位で金銭を愛し、嘘をつき、神を畏れず嘲り、両親に従わず、恩知らずで、他人を侮り、情け容赦なく、強情で、中傷し、節度がなく、残酷で、善を行わず、裏切り、軽率かつ高慢、信仰を装いつつ実際は快楽を愛し、事実上は棄教している。

(注)別エントリー「試論:『滅びに通じる門は広い』140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8105

(注)別エントリー「試論:二ペトロ2章の『偽教師』140文字以内で」も参照のこと。
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マタイ22章14節「神から招かれる者は多いが、そこから神によって選ばれる者は少ない」箴言3章34節(ヤコブ4章6節、一ペトロ5章5節)「神は高慢な者には敵となられる。へりくだる者には恵みをお与えになる」ルカ1章48節「身分の低い、この主のはしためにも、神はその御目を留められた」。