試論:「弟子としての証明」を140文字以内で

主イエスはマタイ7章22節以下で、預言や奇跡や悪霊を追い出すことよりも、悪を行わないことが重要であり唯一それが御自分の弟子としての証明であると仰せになった。これを踏まえてパウロはローマ13章10節で「愛とは悪を行わないこと」と明確に定義し、一コリント13章では愛の重要性を説いた。

(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11291

【追記】

「信じてさえいれば神の御言葉を実行しようとしまいと最終的には救われる」と考える人は、神の御言葉を「実行したい」と口では言うものの「暇があれば」「気が向けば」程度の大概さである。主イエスはマタイ23章で「言うだけで実行しない」(3節)人々を「偽善者」と呼び厳しい言葉で糾弾なさった。

(注)別エントリー「試論:『言うだけで実行しない』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11912

(注)別エントリー「試論:信仰義認の欺瞞を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11920

(注)別エントリー「試論:ローマ3章『信仰と律法』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8650