試論:詩編12編の「信仰」を140文字以内で

詩編12(11)編においてダビデは、隣人に嘘をついたり隣人を早口で欺いたり言行不一致状態だったりする人々ばかりの風潮を、「信仰のある人は消え去りました」(12編2節、新共同訳)と表す。ここで「信仰」と訳されるヘブライ語を、古代のギリシア語訳聖書はアレテイア(真理、まこと)と訳す。

(注)別エントリー「試論:『真理とは何か』への答えを140文字以内で」も参照のこと。
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【試論】

ヨハネ福音書は「信仰」を表現する際、他の福音書が用いるピスティスという語を用いず代わりにアレテイア(真理、まこと)という語を多用する。ヨハネにとって信仰とは、人の真心に対し真心で応じられる神なる主に向かって嘘偽りや裏表のない態度で接することに他ならず、これは当時の共通認識だった。

(注)別エントリー「試論:ヨハネ福音書のアレテイアを140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスに関してヨハネ福音書は「真理」を事ある毎に強調しイエスに偽りはなかったと説く。裏を返せばイエスの敵たちがイエスに難癖を付けるためなら偽りの告発を平然と行って恥じなかったことをも記している。「ガリラヤからは預言者は出ない」という難癖もヨナという先例がいる以上は虚偽であった。

(注)別エントリー「『真理(まこと)の神』」も参照のこと。
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ヨハネ7章52節に「ガリラヤからは預言者は出ない」という敵たちの難癖がある。彼らの発言は誤りで、預言者ヨナの出身地は列王下14章25節にガト・へフェルと記される。ヨシュア19章13節ではガト・へフェルはゼブルン族の領土で、そこはイザヤ8章23節の通り福音書の時代のガリラヤである。

(注)別エントリー「試論:『ガリラヤからの預言者』を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはヨハネ14章6節で「真理」を自称されたが、プロテスタントの「改訳 新約聖書』(1917年)は「まこと」と平仮名を振り、旧約聖書で「まこと」と訳される語との関連を示唆する。嘘偽りや裏表がないこと、上っ面だけでなく内実を伴うこと、真心には真心で返されること等を意味している。

(注)別エントリー「試論:まこと(真、実、信、誠)を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ福音書の『信じる』を140文字以内で」も参照のこと。
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