ヨハネ福音書は「永遠の命」「信じる」を多用する。ただし「何をすれば永遠の命を得られるか」の具体例はマタイ25章「最後の審判」とルカ10章「善きサマリア人の話」の箇所にあり、ルカ10章27節で主イエスは、「信じる」こととは「心・精神・力・思いを尽くし愛する」ことだとお教えになった。
(注)別エントリー「善きサマリア人:律法の専門家が質問した動機とは」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4544
(注)別エントリー「試論:永遠の命を得るためには?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16373
【追記】
人類の歴史上マリアとヨセフの二人以外の全ての人間はただ神に自分の身を守っていただくばかりだったが、マリアとヨセフの二人だけはむしろ自分たち自身こそが、具体的な日々の行動をもって神そのものであられる「自分たちの子」主イエスをお守りすることに、何年も何十年も日々、身も心も砕き続けた。
(注)別エントリー「試論:聖母マリアってどんな方?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5920
(注)別エントリー「試論:最後の審判とイエスの両親を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15086
(注)別エントリー「試論:マリアとヨセフに倣う事柄を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7012
(注)別エントリー「試論:『マリアとヨセフと聖書』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16295
(注)別エントリー「予備的考察:聖母崇敬そして聖ヨセフ崇敬の起源とは」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1750