パウロは一コリント1章24節で「召された者に対しては、神の力であり神の知恵であるキリストを宣べ伝えている」、同30節で「このキリストはわたしたちにとって神の知恵となり」と記す。主イエスもルカ11章49節で「神の知恵もこう言っている」と「神の知恵」を自称なさり仰せを宣べられている。
【追記】
シラ4章11節では「知恵は、自分に従う者を高め、自分を追い求める者を助ける」と説く。主はルカ7章35節で「知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される」と仰せになり、11章49節では御自身を「神の知恵」と称された。一コリント1章24節と30節もキリストを神の知恵と呼ぶ。
主イエスはヨハネ15章26節で聖霊を「弁護者」「真理の霊」と呼ばれ、前章の26節に続いて聖霊が弟子たちを助けてくれると教えられた。イザヤ11章2節は「主の霊」の賜物の筆頭を知恵と啓示する。箴言8章12節は「知恵は熟慮と共に住まい知識と慎重さを備える」と記し、熟慮と慎重さを勧める。
(注)別エントリー「聖霊の働きか否かを確実に識別できる基準」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4564
イエスをルカ2章40節は「知恵に満ち神の恵みに包まれていた」と記し、ヨハネ1章14節では「恵みとアレテイアに満ちていた」と記すがヨハネはアレテイアを「忠実(わたしが父の掟に忠実であるように皆もわたしの掟に忠実であれ)」の意味で使う。聖書の知恵とは主への忠実(箴言1章7節)である。
(注)別エントリー「試論:『主を畏れる』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10751
(注)別エントリー「試論:『信仰とアレテイア』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16847