試論:「貞潔とは」を140文字以内で

主イエスはマタイ5章28節で「淫らな思いを抱きながら他人の妻を見る者は誰でも、心の中では既にその女性を犯している」と仰せになった。箴言6章25節は男性に対し、女性の美に心を奪われはならず必要以上に女性のまなざしを追ってはならないと戒めている。箴言9章17節は「悪魔の囁き」を記す。

【追記】

主イエスはマタイ5章29節で「体の一部がなくなっても全身が地獄に投げ込まれない方がまし」と仰せになり、「悪魔と、その手下のために用意してある永遠の火」(同25章41節)を絶対に避けるよう教えられた。一コリント9章27節は、他の人に宣教しながら自分が失格者にならないようにと戒める。

ダビデは詩編38編5(4)節で、自分の過去の罪悪を「重荷」と呼び、以前の過失の記憶が神の御前で良心を責めると歌う。サムエル下11章の通りダビデは以前に家臣ウリヤの妻バト・シェバに横恋慕し、彼女を手に入れるために夫を激戦地の最前線に送り込み敵に殺させる、という非道な所業を実行した。

ダビデは多くの妻がありながら家臣ウリヤの妻に横恋慕してつまずき、数多くの異邦出身の妻たちのためにソロモンはイスラエルに異教礼拝を持ち込むのを容認した。処女懐胎後の婚約者の妊娠に苦悩したが道を間違えなかったヨセフの姿は、女性に惑わされて道を誤ったダビデやソロモンとは雲泥の差がある。

ダビデは多くの妻がありながら家来ウリヤの妻に横恋慕してつまずき、ソロモンは多数の異邦出身の妻たちのためにイスラエルに異教礼拝を持ち込むのを容認した。婚約書の妊娠に苦悩したが道を誤らず幼子と母を守り通したヨセフに比べれば、女性で道を誤ったダビデやソロモンはあさましい凡人に過ぎない。