【問】サムエル上24章18節は古代のヘブライ人の「義」とは善意や善行・善業だと示します。ならば「不義」とは悪意や悪行のこと?
【答】主イエスはマタイ7章23節で、12節の《キリストの律法》に無頓着でありながら御自分を「主よ、主よ」と呼ぶ人を受け入れることはできないと明言されました。
【追記】
【問】「キリストの律法」とは何ですか?
【答】マタイ7章12節「あなたが他の人からしてもらいたいことならなんでも、あなたから他の人にしなさい。これこそ律法〔であり預言者の教え〕」のことで御教えの基礎となる事柄であり、これが欠乏すると、人々は互いに隣人を侮り始め、世情は殺伐とします。
(注)別エントリー「《キリストの律法》(マタイ7章12節)」も参照のこと。
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A.他人からしてもらいたいことを他人に行う(マタイ7章12節)。
B.他人からしてもらいたいことを他人に行わない。
C.他人からしてもらいたくないことを他人に行う。
D.他人からしてもらいたくないことを他人に行わない(トビト4章15節)。
「愛」はAとDであり「愛の反対」はBとCである。
(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
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主はマルコ7章20節以下で、御自分が人々にお望みである「清さ」とは対極にあるもの、つまり「愛」そのものである御自分とは相容れないものについ て「悪い思い」と総称され、具体的には、みだらな行い・盗み・殺意・姦淫・貪欲・悪意・詐欺・好色・ねたみ・悪口・傲慢・無分別などだと御説明された。
(注)別エントリー「試論:『礼服』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
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ローマ1章は28節「してはならぬこと」32節「死に値する行い」(32節)に関し29節以下に列挙する。全ての不義と悪、貪欲、悪意、妬み、殺 意、不和、詐欺、邪念、悪口、誹謗中傷、神を憎むこと、隣人を侮ること、高慢、大言壮語、悪だくみ、親不孝、御言葉の無視、不誠実、冷酷や無慈悲である。