試論:「タラントンのたとえ話」を140文字以内で

主イエス・キリストがこの世に来られた意義は、「言」すなわち神の御言葉(御教え)を御自分で人々に仰せになるためであり、「御教えを聞いて自分なりに努力したけれど悪戦苦闘の結果あまりうまくいかなかった」ならまだしも、最初から聞かなかったように振舞うのは、財産を穴に埋めるのと同じである。

(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5844

(注)別エントリー「試論:マタイ25章のタラントンを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6174

(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5851

【追記】

旧約聖書では「良からぬ意図の下に穴を掘る」行為は、結局は自分自身の破滅を準備する象徴的な仕草と見なされた(詩編57編7(6)節)。詩編94編12節は「主よ、あなたに諭されあなたの律法を教えていただく人は幸い」と記し、13節では神に逆らう者の滅びの象徴として「穴」が言及されている。

(注)別エントリー「試論:『穴を掘る』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8468