主はルカ17章30節で「人の子が現れる日」に言及された。これは黙示録6章17節「神と小羊の怒りの大いなる日」と同じで「神」は御父である神、「人の子」「小羊」は主イエス・キリストである。「はげ鷹」ローマ帝国は繁栄の都エルサレムと神殿を、神の介在を疑い得ないほどに跡形もなく滅ぼした。
【追記】
主はルカ17章34節で「一人は連れて行かれ、もう一人は残される」21章24節で「捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる」と仰せになった。紀元七〇年のエルサレム滅亡の際、ユダヤ人はローマ市民権の有無によって運命が大きく分かれ、奴隷にされた者たちはローマ帝国の各地へと売られて行った。
(注)別エントリー「試論:『一人は連れて行かれ〜』を140文字以内で」も参照のこと。
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申命記28章49節でモーセは、将来イスラエルの民を滅ぼす国民の象徴となる動物を預言した。ルカ17章37節のギリシア語本文も、古代のギリシア語訳申命記と同じ単語を用いている。それはローマの国章と同じ動物で、ヨハネ11章48節で「ローマ人」という表現が登場する、根拠の一つでもあった。
(注)別エントリー「試論:ヘブライ人の『神を見る』を140文字以内で」も参照のこと。
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主はルカ17章20節で「神の国は見える形では来ない」22節で「人の子の日を弟子たちが見ることはない」と仰せになったが、アモス5章18節では「主の日を待ち望む者は災いだ。主の日は闇であって光ではない」と預言しており、「神の国の到来」と「主の日」とを混同すべきではないと、理解できる。
(注)別エントリー「試論:『バビロンへの連行』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『一人は連れて行かれる』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:連れて行かれるのはどこ?を140文字以内で」も参照のこと。
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