試論:ファリサイ派の「偽善」?を140文字以内で

【問】主イエスはルカ12章1節で、ファリサイ派の人々を「偽善」という表現で厳しく非難されました・彼らのどこが「偽善」ですか?
【答】マルコ7章6節でも主は、「偽善者」という表現を用いられた上で、同9節で「あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守る」と理由を説明されました。

【追記】

【問】「神の掟」と「人間の言い伝え」は、どこで区別されますか?
【答】ヨシュア1章8節は「律法の書に記されていること全てを忠実に守りなさい」と説き、律法の書に記載されておらず単に口頭で伝承されているだけの事柄を守るべき掟から除外します。古代でさえ単なる口約束は契約と認められません。

ルカ21章22節には「書かれていること」という言い回しが用いられているが、これはヨシュア記1章8節と同様に、「預言された事柄」「神から啓示された内容」などを意味する表現である。古代においては「書く(書いて記録に残しておく)」という行為それ自体が、非常に重大な意味を持つものだった。

ダビデの故事(サムエル下5章8節)によりエルサレム神殿では目や足の不自由な人々の立ち入りが制限されていた。それに対して主は、あえて神殿に目や足の不自由な人々を招き入れて奇跡的な治癒を行われ(マタイ21章14節以下)それをもって「祈りの家」(同13節)のあるべき姿をお示しになった。

(注)別エントリー「試論:『昔の人の言い伝え』実例を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/19462

ルカ21章22節において、主イエス・キリストは、エルサレムの滅亡をもって旧約聖書の預言が全て成就すると明言されており、それは紀元七〇年に現実のこととなった。従って、既に旧約聖書の預言が全て成就している以上、現代や近未来の世界情勢に関して旧約聖書の預言から考える行為は、不毛である。

(注)別エントリー「旧約聖書の預言書を研究する際の基本原則」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/3859

主はマタイ5章18節で、全てのことが実現し天地が消え失せるまで律法の時代が続くことを仰せになった。ルカ21章22節では、エルサレム滅亡(20節)の日を「書かれていることが完全に実現する報復の日」と仰せになり、エルサレムと神殿の滅亡(紀元七〇年)で律法の時代が終わると宣言なさった。

「天地が消え去る」の「天」とは、神がお住まいになる場所と見なされたエルサレム神殿とりわけその聖所を指し、二ペトロ3章はその滅亡が近いことを説く。「地」はエゼキエル7章2節同様、イスラエルの地を指す。紀元七〇年にエルサレムと神殿は滅亡しユダヤ(イスラエル人の国家)も同じく消滅した。

主イエスは旧約聖書の預言に関して、第一義的に御自分及び御自分の到来前後の歴史的諸事件への言及であり(ルカ24章27節、同44節、ヨハネ5章39節)、エルサレム滅亡(紀元七〇年)で預言は全て成就すると仰せになった(ルカ21章22節)。旧約聖書は21世紀の国際情勢とは全く関係がない。