「祭司長たちと長老たち」

【問】なぜ祭司長たちや長老たちは救い主として来られた主イエスのことを殺したいほど憎んだのですか?
【答】彼らは自分たちの地位や名誉・名声や財産をイエスが脅かすと思い込んでいました。彼らにとって重要なのは神の御前に自分が正しい者であるか否かではなく、ただ地位や名誉・名声や財産でした。

【問】古代のイスラエル人にとって「正しい」とは何を意味しますか?
【答】サムエル上24章18節「お前(=ダビデ)はわたし(=サウル王)より正しい。わたしは悪意をもってお前と向き合っているのにお前はわたしに対して善意を示してくれた」。旧約聖書における「正しい」は《善意》と不可分です。

【問】ルカ9章44節「人の子(主イエス)は、人々の手に引き渡されようとしている」。なぜ?
【答】22節は「人の子は長老、祭司長、律法学者から排斥されて殺され」と記します。主イエスは彼らの考え違いを公然と批判されたので彼らは自分のメンツを潰されたと怒り狂い、殺意を剥き出しにしました。

【問】彼らの主イエスに対する殺意の動機は、カインがアベルに対する殺害の動機を思わせます。
【答】普段から周囲の人々を見下して小馬鹿にしている人ほど、自分がメンツを潰されたと感じた時には激しく怒り狂い、理性を失います。相手を殺してまでも守りたいプライドとは、いったい何なのでしょうか?

(注)別エントリー「試論:『カインの高慢』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/17085

(注)別エントリー「試論:『カインの最期』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/24637

【問】主イエスはなぜマタイ23章で律法学者たちやファリサイ派の人々を厳しく批判されましたか?
【答】その理由は「彼らは言うだけで実行しない」(3節)と説明されています。旧約の民は詩編12節にある通り本来、言行不一致の人々や面従腹背の人々の中には、信仰の存在を認めてはいませんでした。

詩編1編1節は幸いな者として「神の逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず」と歌い、「神は高慢な者を敵とされ、へりくだる者に恵みをお与えになる」(箴言3章34節、ヤコブ4章6節、一ペトロ5章5節)と同様に、高慢心は信仰と相容れないことを説く。

(注)別エントリー「試論:『高慢は破滅を準備する』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7485

(注)別エントリー「試論:『恵みとへりくだり』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8781

「救い主」が世を救われる方法に関しイザヤは、「小羊」(53章7節)つまり代価として御自分をささげ、「しもべ」(42章、49章以下等)として人々に仕えると預言し、主もマタイ20章28節でそれを宣言された。救い主の母となることを承諾した女性が「主のはしため」を称するのは象徴的である。

(注)別エントリー「試論:『しもべ』と『はしため』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9785