【問】福音書で「洗礼者の死」の箇所等を読むと、洗礼者が生き返った存在がイエスだとヘロデは思ったようで民衆の一部も同意見でした。どういうこと?
【答】「死者の復活」について、当時のユダヤ人の間に様々の〔間違った〕認識が存在したことを示唆しています。コヘレト12章7節が正しい答えです。
(注)別エントリー「試論:人間の完成形(最終形態)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15868
【追記】
主はヨハネ11章25節で御自身を復活と命だと称され、6章63節では命を与えるのは「〔神の〕霊」だと仰せになった。コヘレト12章7節は人間の死でその肉体は塵(土)に還るが、命を与えられたその霊は「与え主」である神の許へと還るとし、一コリント15章44節は「霊の体が復活する」と記す。
コヘレト12章7節では人間の肉体を「塵」と表現し死によって大地(創世記2章7節、3章19節)へ帰ると記すが、洗礼により「神の子とする霊」 (ローマ8章15節)を受けた者の「霊」は対照的に、罪に脆い肉体の重荷から解放され「霊」をくださった「与え主」神の許へ帰るべきだと定められている。
【問】復活の聖なる徹夜祭の朗読は創世記1章をなぜ含むの?
【問】主イエスの御復活とは、一度死んだ人々の霊が神の御許に帰還した(コヘレト12章7節)後に与えられる「天上の体」(一コリント15章40節)の新たな創造を意味し、この新たな創造を創世記冒頭の天地創造の継続と理解するからです。
(注)別エントリー「試論:『土の家』(+復活の体)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9624