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試論:「義人」の「義」を140文字以内で

【問】旧約の「義」とはサムエル上24章18節によれば善意ということですが、もっと具体的には、何?
【答】ダビデがサウル王を助命したように相手の弱みに付け込まないことです。エジプトの宰相になったヨセフは兄たちを赦し、ボアズはルツを慰み者にせず、養父ヨセフは妻への礼を失いませんでした。

【追記】

【問】マタイ1章19節がヨセフをディカイオス(義人、正しい人)と呼ぶ理由は?
【答】古代のヘブライ人の「義」「正しい」は善意を意味しますが(サムエル上24章18節)、もしもヨセフの内面に幼子や女性に対して悪巧みを試みる心が微塵でもあれば、マタイ1章から2章の話は成立しないからです。

詩編15編3節は、神なる主と同じ住まいで暮らす人の条件として、周囲に対して中傷をせず、害を及ぼさず、小馬鹿にした態度を取らないことを挙げ、また2節では完全(=無垢)で、義を行うことを挙げる。主イエスの同居家族として、ヨセフが幼子や幼子の母を困らせる行動に出た可能性は皆無と言える。

マタイ福音書のギリシア語本文はヨセフをディカイオス(1章19節)と呼ぶが、ディカイオスは最後の審判で天国の福楽を確約されている人(25章37節)を意味し、ヨセフがもともと天の国にいてもおかしくないほどに無垢な(創世記6章9節)底抜けの大善人で天使のような人であったことを示唆する。

【問】山上の説教の「義に飢え渇く人は幸い」の「義」とは何?
【答】サムエル上24章18節「お前はわたしよりも義の人だ。わたしはお前に悪意を示したのにお前はわたしに善意を示してくれた」からも分かる通り、古代のヘブライ人の「〔神の〕義」とは現代の日本語でいえば《善意》を意味しています。

現代において、建前上は幼子や女性の尊重が謳われる。しかし同時に、欲望の追求も無制限に肯定される風潮のため実際には幼子や女性が犠牲になる事件も後を絶たない。神は「義人」ヨセフの姿を通して、「神の義」とは幼子や女性を優先して自分を後回しにすることであると、全ての時代の人々に示された。

カトリックではナザレの聖家族は三人と教える。主の養父ヨセフは終生、息子と妻の望むことだけを行い、三人家族の三番目であるかのように振舞い後世の人々からもそう思われた。世の男性たちが子供たちや女性たちを平然と虐待する、毒々しい時代が来る時、ヨセフの存在は強力な解毒剤として働くだろう。

(注)別エントリー「試論:『永遠の命を得るには?』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11171

(注)別エントリー「イエスの『兄弟』『姉妹』:同胞か親戚か」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1451

主はマタイ6章33節で、まず神の国と神の義(ディカイオシュネー)を求めるよう教えられた。1章19節はヨセフを義人(ディカイオス)と呼ぶが、この語は神の義を体現する人を指す。相手が幼子や女性だからといって馬鹿にした態度を取る男性もいるが、その点、ヨセフに関しては心配する必要がない。

(注)別エントリー「聖家族はどのような雰囲気の中で暮らしていたのか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5246

(注)別エントリー「聖ヨセフ:ディカイオスを旧約聖書で考察」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1613

(注)別エントリー「試論:『ディカイオス』聖ヨセフを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8497