【問】ヨハネ12章にはベタニアのマリアが高価な香油を惜しげもなく費やす場面がありますが、マルタは給仕をしています。
【答】ルカ10章の「マルタとマリア」の話でもそうですが、マルタは根っから他人の世話をするのが好きな女性のようです。もちろん「キリストの律法」に照らせば大変な美徳です。
(注)別エントリー「ベタニアのマリア(マグダラのマリア)」も参照のこと。
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【追記】
【問】「キリストの律法」とは何ですか?
【答】マタイ7章12節「あなたが他の人からしてもらいたいことならなんでも、あなたから他の人にしなさい。これこそ律法〔であり預言者の教え〕」のことで御教えの基礎となる事柄であり、これが欠乏すると、人々は互いに隣人を侮り始め、世情は殺伐とします。
A.他人からしてもらいたいことを他人に行う(マタイ7章12節)。
B.他人からしてもらいたいことを他人に行わない。
C.他人からしてもらいたくないことを他人に行う。
D.他人からしてもらいたくないことを他人に行わない(トビト4章15節)。
「愛」はAとDであり「愛の反対」はBとCである。
ヨハネ1章の通り御子である主イエスは「言(ことば)」つまり御自分で御言葉をお話しになる神として、この世に来られ、「仕えられるため」ではない(マルコ10章45節)。従って主イエスに直接応対する場合に限り「仕える」を選んだマルタより「御言葉に耳を傾ける」を選んだマリアが良しとされた。
(注)別エントリー「試論:『言(ことば)』を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはマタイ12章38節以下で「しるしを見せてください」と迫った人々に対して、救い主に求めるべきものはしるしなどではなく、むしろ救い主が語る御教えであるべきだと強調された。主イエスはルカ10章でも「仕える」を選んだマルタより「御教えを聞く」を選んだマリアの姿勢を良しとされた。
(注)別エントリー「『マリアは良い方を選んだ』?」も参照のこと。
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ヨハネ12章の冒頭で、ベタニアのマリアの行いを目にしたイスカリオテのユダは、相手の「落ち度」(実際は落ち度でも何でもなかったがユダは勝手にそう思い込み調子に乗った)を見つけて鬼の首でも取ったかの如く、勢いづいた。同6章64節は主イエスは最初から誰が裏切り者か知っておられたと記す。
レビ19章18節は隣人愛の掟を記すが、15節は貧者救済の理由であろうと判断を惑わされてはならないと説く。ヨハネ12章でイスカリオテのユダが貧者救済を理由にベタニアのマリアを攻撃した際、主イエスはユダの言葉が貧者救済を口実にした単なる言い掛かりに過ぎないと見抜かれ、女性を擁護した。
【問】主はマタイ19章で「金持ち」に厳しい仰せをされましたが、ヨハネ12章ではベタニアのマリアを擁護されました。
【答】彼女は、全人類の救いの代価として数日後に屠殺される「神の小羊」のために、高価な香油を惜しげもなく費やしましたが、「小羊」の贖いに比べれば全く取るに足らぬ値段です。
【問】なぜイスカリオテのユダは主イエスを裏切りましたか?
【答】ヨハネ12章6節は彼が献金泥棒的な行為をしていたと記しています。「茨の中に落ちた種とは、富の誘惑その他の欲望が心に入り込み御言葉を覆い塞いで実らないこと」。財布のごまかしに象徴される面従腹背が、彼を破滅へと導きました。
【問】彼女はヨハネ12章でなぜあのようなことをしたのですが?
【答】全人類の救いの代価として数日後に屠殺される救い主のための、「手向(たむ)け」としてです。恐らくルカ10章の「マルタとマリア」の話の際に、主は御自分がエルサレムに向かう(同9章51節)理由を彼女に伝えられたはずです。
ルカ10章41節「あなたは多くのことに」の「多くの」に当たるギリシア語は、同福音書の他の箇所では「おびただしい」とも訳され、数や程度のはなはだしさを意味し、大所帯を切盛りできる配慮や才覚がマルタにあったことを示唆している半面、当日のもてなしが「盛り沢山」過ぎた蓋然性をも暗示する。
主イエスはルカ10章42節で、マルタに「マリアは良い方を選んだ」と仰せになった。その数年後、御昇天される主を見送りながら、主イエスから直に御教えを話していただく機会はもう二度と得られないことにマルタは思い至り、遅まきながら「良い方を選んだ」の真意を悟って、悔み、涙したはずである。