主イエスはマタイ5章34節で「一切誓ってはならない」と命じられた。申命記6章13節に誓いの掟が現に存在していたものの、マルコ6章の洗礼者の殺害の箇所に見られる通り当時のユダヤでは、神の御旨とはあまりにも程遠い愚行の根拠として誓う行為が悪用され、洗礼者ですら命を失う体たらくだった。
主イエスはマタイ23章16節以下で特に「誓う」行為について批判されている。山上の説教でも誓ってはならないと教えられた。「誓う」際の前提を申命記6章13節は「あなたの神、主の御名によって」と記す。「誓う」の最も嘆かわしい実例はペトロの「わたしはそんな人を知らない」で鶏はすぐ鳴いた。
主イエスの「あなたたちは一切、誓ってはならない」の真意は、申命記6章13節が定める誓いの条件「あなたの神、主の御名によって」という前提が当時はあまりにも軽んじられ、実際には神の本来望んでおられたものとは全く異なる有様で運用されており、誓う行為自体が悪の温床になっていたためだった。
申命記25章には跡取りを産む前に夫に先立たれた女性に、家名を存続させる目的で亡夫の「兄弟(親族の男性全般)」との再婚を求める規定がある。しかしマタイ14章のヘロデは兄弟フィリポが存命中なのに、その妻と親密になり兄弟から妻を奪い取った。この件で洗礼者ヨハネはヘロデを厳しく叱責した。
兄弟に妻を奪われたフィリポは、ヘロデ大王の息子たちの中ではへりくだりを知る常識人だった。ただ、癖が強く猛々しい悪人が揃うヘロデ王家の中にあっては、フィリポのこの態度は物足りなくも弱々しい「お人好し」として周囲に映ったようで、そこにつけ込んだ妻と兄弟によって小馬鹿にされてしまった。
ヘロデ・アンティパスは洗礼者の言葉に喜んで耳を傾けたが単なる好奇心からで、自分の兄弟がお人好しであることにつけ込んで、その妻と親密になり、やがて彼女を奪い取った。根はやはり悪人の彼はイエスの逮捕後、イエスにも興味を抱いたが、興味を失うと洗礼者の時と同様に、イエスを平気で見捨てた。
洗礼者はヘロデの家庭事情を非難したことでヘロデの家族の恨みを買い殺害されたが、宗教指導者たちと深い対立関係にはなかった。他方、救い主は「神を御自分の父と呼び御自分を神と等しい者とされた」(ヨハネ5章18節)ゆえに、救い主を認めたくない宗教指導者たちは冒瀆者扱いして殺す道を選んだ。