【問】なぜ主イエスは、エルサレムで全人類の救いの代価として屠殺されなければならなかったのですか?
【答】イザヤ25章7節から8節は、主なる神が「この山」と呼ばれる場所でそのことを行われると預言しています。またダニエル9章16節は、まさにエルサレムのことを「聖なる山」と呼んでいます。
(注)別エントリー「試論:聖書の『山』は何の比喩?を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
【問】主はマタイ19章で「金持ち」に厳しい仰せをされましたが、ヨハネ12章ではベタニアのマリアを擁護されました。
【答】彼女は、全人類の救いの代価として数日後に屠殺される「神の小羊」のために、高価な香油を惜しげもなく費やしましたが、「小羊」の贖いに比べれば全く取るに足らぬ価値です。
(注)別エントリー「試論:世の罪を取り除く神の小羊を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:贖(あがな)いを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『メシア到来の目的』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「『贖(あがな)い』と『救い主の母』」も参照のこと。
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(注)別エントリー「ベタニアのマリア(マグダラのマリア)」も参照のこと。
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【問】彼女はヨハネ12章でなぜあのようなことをしたのですが?
【答】全人類の救いの代価として数日後に屠殺される救い主のための、「手向(たむ)け」としてです。恐らくルカ10章の「マルタとマリア」の話の際に、主は御自分がエルサレムに向かう(同9章51節)理由を彼女に伝えられたはずです。
【問】なぜイスカリオテのユダは主イエスを裏切りましたか?
【答】ヨハネ12章6節は彼が献金泥棒的な行為をしていたと記しています。「茨の中に落ちた種とは、富の誘惑その他の欲望が心に入り込み御言葉を覆い塞いで実らないこと」。財布のごまかしに象徴される面従腹背が、彼を破滅へと導きました。