主なる神が燃える柴の火の中から御言葉をモーセに語り掛けられたという出来事は、ヘブライ人にとって忘れ難い歴史上の一大事で、洗礼者の「聖霊と火による」に対し、当時のユダヤ人は「火」が何の意味かを直ちに理解した。しかし異邦人には全く意味不明でマルコ1章8節はこの理由から「火」を省いた。
(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5844
(注)別エントリー「試論:二種類の『火』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13038
【追記】
主なる神が「燃える柴」の中よりモーセに語り掛けられた(出エジプト記3章)出来事から、古代イスラエルの信仰と歴史は大きく動き始めた。当然ヘブライ人にとって、「火」とは主の御言葉を連想させるものであり、「火」は主の御言葉の比喩として用いられた(エレミヤ5章14節、ルカ12章49節)。
主イエスが御自分の福音を仰せになった相手は、まず御自分がお生まれになった古代イスラエルの人々であった。古代イスラエルの人々の間でよく知られた比喩や慣用句を主も当然、しばしば用いられたが、これらは二千年後の「異邦人」には全く馴染みのない事柄であり、現代人による理解を難しくしている。
主イエスは古代のイスラエル人に御言葉をまず仰せになったが、「わたしはたとえを用いて秘密を告げる」(詩編78編2節)とマタイ13章35節にある以上、福音書の中の理解困難な言い回しにつまずきそうになった場合、問題解決の鍵は、旧約聖書の中のヘブライ語特有の比喩や慣用句を知ることである。
(注)別エントリー「試論:『地上に火を投ずる』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7803
(注)別エントリー「試論:『火も剣も御言葉の比喩』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7812
エレミヤ5章14節「わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける。それは火となり、この民を薪として焼き尽くす」同20章9節「主の名を口にすまいと思っても、主の御言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて火のように燃え上がります」同23章29節「わたしの言葉は、火に似ていないか」。