洗礼者はヘロデの家庭事情を非難したことでヘロデの家族の恨みを買い殺害されたが、宗教指導者たちと深い対立関係にはなかった。他方、救い主は「神を御自分の父と呼び御自分を神と等しい者とされた」(ヨハネ5章18節)ゆえに、救い主を認めたくない宗教指導者たちは冒瀆者扱いして殺す道を選んだ。
(注)別エントリー「試論:マルコ6章18節を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/14182
【追記】
申命記25章には跡取りを産む前に夫に先立たれた女性に、家名を存続させる目的で亡夫の「兄弟(親族の男性全般)」との再婚を求める規定がある。しかしマルコ6章のヘロデは兄弟のフィリポが存命中なのに、その妻と親密になり兄弟から妻を奪い取った。この件で洗礼者ヨハネはヘロデを厳しく叱責した。