一ペトロ4章8節は、箴言10章12節を踏まえて「愛は罪を覆う」と説く。この意味について、主イエスはルカ16章「不正な管理人のたとえ」で、ある人が常日頃から周囲に対して情け深く接するならば、神は必ずその人の以前の過ちに対しても情け深く接して下さる(マタイ6章14節)と御説明された。
(注)別エントリー「試論:『良きサマリア人』の教訓を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「あなた方も憐れみ深い者となりなさい」も参照のこと。
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最後の晩餐の際に主は、御自分の《愛の掟》においては隣人愛の実践をもって御自分への愛の実践とみなすと宣言された(ヨハネ14章21節等)。最後の審判では各自の行いに応じて裁かれる(黙示録20章13節、マタイ25章45節)ため、神からの赦しを得るには隣人を赦す以外ない(同6章12節)。
【問】ローマ5章9節は「わたしたちはキリストの血によって義とされた」と記しています。洗礼を受けて信者になれば、後で何をしても救われるの?
【答】ヘブライ10章26節以下では「わたしたちが真理の知識を受けた後でも、故意に罪を犯し続けるとすれば、〜」等と厳しい表現で強く警告しています。
(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『真理』あるいは三位一体を140文字以内で」も参照のこと。
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黙示録20章12節以下には、マタイ25章31節以下と同様に、「最後の審判」に関する記述が登場するが、そこでは全ての死者たちが各自の行いに応じて裁かれることが書かれており、「行いを伴わないならば、信仰はそれだけでは死んだものです」というヤコブ2章17節の記述とは完全に一致している。
(注)別エントリー「試論:『最後の審判』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:行いを欠く信仰を140文字以内で」も参照のこと。
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出エジプト記34章で主の栄光がモーセに現わされた際、御自分が優しさと厳しさを兼ね備えた神であると主はモーセに明らかにされた。ダビデは詩編18編21(20)節以下で、主は優しい人には優しく厳しい人には厳しいと歌った。その人が隣人に敬意を示さない限り、主はその人の信仰を認められない。
(注)別エントリー「試論:『選ばれた人は選んだ人』を140文字以内で」も参照のこと。
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【問】山上の説教の「義に飢え渇く人は幸い」の「義」とは何?
【答】サムエル上24章18節「お前はわたしよりも義の人だ。わたしはお前に悪意を示したのにお前はわたしに善意を示してくれた」からも分かる通り、古代のヘブライ人の「〔神の〕義」とは現代の日本語でいえば《善意》を意味しています。
主イエスは敵を愛するよう命じられたが既にそれはモーセの律法に存在した。出エジプト23章4節〜5節「あなたの敵の牛やろばがさまよっているのを見たなら、その家畜を敵のところへ帰してやりなさい。あなたを憎む者のろばが重荷の下敷きになっているのを見たなら、その者と共にろばを助けなさい」。
(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
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A.他人からしてもらいたいことを他人に行う(マタイ7章12節)。
B.他人からしてもらいたいことを他人に行わない。
C.他人からしてもらいたくないことを他人に行う。
D.他人からしてもらいたくないことを他人に行わない(トビト4章15節)。
「愛」はAとDであり「愛の反対」はBとCである。
【問】マタイ7章12節「他の人からしてもらいたいことを全てあなたから他の人にしなさい」。なぜ、この教えが《キリストの律法》と呼ばれますか?
【答】この教えにイエス・キリストの御旨と新旧約聖書の全ての教えの本質が凝縮されているからで、この教えへの忠実こそが人間を永遠の命へと導きます。
(注)別エントリー「《キリストの律法》(マタイ7章12節)」も参照のこと。
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【問】「キリストの律法」とは何ですか?
【答】マタイ7章12節「あなたが他の人からしてもらいたいことならなんでも、あなたから他の人にしなさい。これこそ律法〔であり預言者の教え〕」のことで御教えの基礎となる事柄であり、これが欠乏すると、人々は互いに隣人を侮り始め、世情は殺伐とします。
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
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