【問】主イエスは「真理」(ヨハネ14章6節)を自称されましたが、聖書中で信者が肝に銘じるべき「真理」となる一説は、どれ?
【答】マタイ7章12節「あなた自身が他の人からしてもらいたいことならなんでも、あなた自身が他の人に行いなさい」。隣人愛の実践こそが神への愛をあかしするものです。
(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:キリスト抜きのキリスト教を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『真理』あるいは三位一体を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『真理とは何か』への答えを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『まこと(=真理)の神』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
マタイ25章45節で主は「この小さな者の一人にしなかったことは、わたしにしなかったことである」と仰せになり、隣人愛の実行を神への愛の基準にすると宣言された。従って「私は周囲とはトラブルを起こしてばかりですが、主よ、あなたへの愛だけは誰にも負けません」という自己申告は、通用しない。
【問】主イエスが「律法」と呼ばれたマタイ7章12節の御教えこそが「真理」ですか?
【答】トビト4章15節は違う表現ながらこの「真理」に触れます。表現と程度の違いこそあれど古今東西の親がわが子にこの「真理」を教え込みました。全員がわがままを言い出したら最後この人間社会は成立しません。
(注)別エントリー「《キリストの律法》(マタイ7章12節)」も参照のこと。
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A.他人からしてもらいたいことを他人に行う(マタイ7章12節)。
B.他人からしてもらいたいことを他人に行わない。
C.他人からしてもらいたくないことを他人に行う。
D.他人からしてもらいたくないことを他人に行わない(トビト4章15節)。
「愛」はAとDであり「愛の反対」はBとCである。
(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
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