試論:「赦しと憐れみ」を140文字以内で

【問】マタイ18章「仲間を赦さない家来」のたとえはなぜ重要なのですか?
【答】主イエスが「あなたたちの一人一人が心から兄弟を赦さないのならば、わたしの天の御父もあなたたちに同じようになさる」と仰せになり、周囲に対して憐れみのない人は神の憐れみを期待できないとお教えになったからです。

【追記】

【問】主イエスは「柔和で謙遜な者」と称されましたが、普通の人間は自分で自分をそんな風には言わないのでは?
【答】それはまさに主イエスが普通の人間ではないからで、「柔和」とは《わたしは優しい人には優しい》、「謙遜」とは《わたしは神であり人間で、人間の弱い部分も知ってい》の意味です。

(注)別エントリー「試論:『主は優しい人に優しい』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8296

(注)別エントリー「試論:神であり人であるキリストを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6725

(注)別エントリー「試論:『受肉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7842

(注)別エントリー「試論:『愛』(キリストの律法)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13665

主イエスや洗礼者は「悔い改め」を説いた。悔い改めと聞くと現代人は、何か仰々しいイメージを抱きがちだが、ルカ3章で実際に洗礼者が皆に指示した事柄は簡潔かつ具体的なものであった。目の前にいる相手を悲しむ顔・困った顔・苦しむ顔にさせるような行為と悪意とを捨て去るように、それらは勧めた。

主イエスはルカ13章3節で「あなたたちも悔い改めなければ皆、滅びる」と説かれた。ルカ3章で洗礼者は、悔い改めに必要な事柄を簡潔ながら具体的な指示として与えた。主イエスの御指示は「あなたが他の人からしてもらいたいことは全てあなたから他の人にしなさい」で、これの実行が悔い改めである。

(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11291

(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12199

(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11541

【問】聖書の「柔和」とは女性的な事柄ですか?
【答】いいえ。全く違います。古代ギリシア語訳の民数記12章3節で、モーセは地上の誰よリも柔和な人だったと評されます。妻のことで難癖を付けてきた姉を彼は相手にせず、神なる主が姉を罰した時、彼は姉のための赦しを神なる主に請い願ったからです。

【問】聖書の「柔和」は女性的とかそういう話ではない、ということですね?
【答】モーセが民数記12章で姉や兄の難癖を全く相手にしなかった理由は、出エジプト記7章の時点で既に八十代に達していた高齢の兄弟が喧嘩を始めることによって、イスラエルの民に動揺が走ることをモーセが恐れたためです。

【問】姉ミリアムや兄アロンと違いモーセは大所高所から物事を見ていた、ということですね?
【答】モーセはアブラハムと同様に私利私欲とは程遠い無私の人でしたが、弟の背負っていたものと使命感とに比べれば姉ミリアムや兄アロンはまだまだ私情で動いていた、と言われても仕方ないエピソードでした。