試論:災害は神からの罰ですか?を140文字以内で

【問】災害の報道をよく目にしますが、災害は神からの罰ですか?
【答】旧約聖書には「神からの罰としての災害」の例は、枚挙にいとまがありません。ただし、主イエスはルカ13章の冒頭の箇所で、災害に遭遇した人々を安易に「罪深い者」と決めつける考え方に対して、はっきりと釘を刺しておられます。

【追記】

【問】個人的に、自分の持病は若い時分の不摂生が原因ではないかと反省しています。
【答】あくまでも自分自身の問題について「自業自得」と考えるのは問題ないですが、見ず知らずの不特定多数の人々の被害に対し安易に「自業自得」と判断を下してはならないと主イエスはルカ13章で仰せになりました。

【問】ではなぜ旧約聖書は「神からの罰としての災害」の例をいくつも記すのですか?
【答】旧約聖書は何千年という非常に長い期間の歴史を扱っており、当然その間には人々が非常に堕落した有様になってしまったことがありました。だからといって、「人間に起こる全ての不幸は自業自得」ではありません。

【問】「人間に起こる全ての不幸は自業自得」ではないと、どうして言えるのですか?
【答】創世記4章で弟アベルは兄カインに殺害されましたが、アベル自身には何の落ち度もなく、主イエスもマタイ23章35節でアベルを「義人(正しい人)」と称賛されます。カインこそが神から罰を受けるべきでした。

【問】カインはなぜ、弟アベルを殺すほど激怒したのですか?
【答】弟は真心を込めて献げ物を準備しましたが兄は自分が何もせずとも作物は勝手に育つという態度で弟を小馬鹿にしていました。日頃から他人を小馬鹿にしていたカインは、神と弟が共謀して自分を小馬鹿にしていると思い込み弟を殺しました。

(注)別エントリー「試論:『カインの高慢』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/17085

A.他人からしてもらいたいことを他人に行う(マタイ7章12節)。

B.他人からしてもらいたいことを他人に行わない。

C.他人からしてもらいたくないことを他人に行う。

D.他人からしてもらいたくないことを他人に行わない(トビト4章15節)。

「愛」はAとDであり「愛の反対」はBとCである。

(注)別エントリー「試論:『愛』(キリストの律法)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13665