【問】「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れる」? 何のこと?
【答】ヨハネ15章「わたしはまことのぶどうの木」の仰せの通り弟子にとっての最重要事項は、まず大前提として主イエスと確実に結び付いていることです。「わたしから離れては、あなたたちは何もできない」。
【追記】
主イエス・キリストは、御自分に向かって「主よ、主よ」(マタイ7章21節)と言う者が「天の国」に入れなくなってしまう場合の理由として、「不法を働く」(23節)「不義を行う」(ルカ13章27節)を挙げられて、「狭い門」「命に通じる門」(マタイ7章13節、14節)の意味を御説明された。
(注)別エントリー「試論:『狭い門』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5628
(注)別エントリー「試論:『主よ、主よ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5380
(注)別エントリー「試論:『わたしは命である』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11586
(注)別エントリー「試論:なぜ『わたしは命』?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11740
主はマタイ18章で、「心を入れ替えて子供のようにならなければ決して天の国に入ることはできない」(3節)また「自分を低くして子供のようになる人が天の国では一番偉い」(4節)と仰せになられ、「心を入れ替える」「自分を低くする」の二つが子供のようになるために必要な事柄であると説かれた。
【問】弟子たちが自分たちの中で一番偉いのは誰かという議論を始め主イエスが彼らに子供を模範として示す、という話の教訓とは?
【答】周囲の人々よりも自分の方が偉いと思い込み始めた人間は次に周囲の人々を蹴落とすために様々な悪だくみを考えるようになります。主はそうなることを戒められました。
【問】主イエスはなぜマタイ23章で律法学者たちやファリサイ派の人々を厳しく批判されましたか?
【答】その理由は「彼らは言うだけで実行しない」(3節)と説明されています。旧約の民は詩編12節にある通り本来、言行不一致の人々や面従腹背の人々の中には、信仰の存在を認めてはいませんでした。