列王記上11章はソロモンが数多くの異邦出身の女性に囲まれて生活し、王が女性たちに神々への崇拝を認めた結果、異教礼拝が蔓延したと記す。彼の知恵の「曇り」は10章18節以下の通り、多数の獅子像に囲まれた王座を造らせた際も見られた。主に基づく知恵は、この種の虚勢は不要と諭すはずである。
【追記】
ソロモン王は傑出した知恵によって名声は世界に及び、神殿を完成させ国を繁栄させる等の功績を打ち立てたが、多くの異邦人の女性たちを愛し、彼女らが異教礼拝を持ち込むのを容認した結果、イスラエルに異教が蔓延し、バビロン捕囚の遠因となった。シラ49章4節はソロモンを堕落した王たちに含める。
ダビデは多くの妻がありながら臣下ウリヤの妻に横恋慕してつまずき、数多くの異邦出身の妻たちのためにソロモンはイスラエルに異教礼拝を持ち込むのを容認した。処女懐胎後の婚約者の妊娠に苦悩したが道を間違えなかったヨセフの姿は、女性に惑わされて道を誤ったダビデやソロモンとは雲泥の差がある。
聖書においてアブラハム、イサク、ヤコブの三人の名前はよく並称されるが、父アブラハムや息子ヤコブに比べると、イサクには歴然とまさっている点があった。それは、多くの財産を持つ有力者であるにもかかわらず複数の女性をわがものとすることなく生涯リベカただ一人だけを愛し続けたという点だった。
イサクにとって元来リベカは親族だが自分よりも一世代下で、イサクが中年の域に入っていたにもかかわらず、彼女は主なる神の御意向に応じ遠路はるばる嫁いでくれた若い女性だった。世の男性の中には、もっともらしい理由をつけては年下の妻を小馬鹿にする人もいるが、イサクは妻リベカを尊重し続けた。
(注)別エントリー「『マリアの処女懐胎は誤訳に基づく話』説は本当か」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1524
(注)別エントリー「『処女懐胎は誤訳に基づく話』説は本当か」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1551
創世記で、イスラエルの十二部族の始祖となったヤコブの十二人の息子は四人の女性から産まれたため、必然的に古代のイスラエル人の共通の母はヤコブの母リベカになる。リベカは「若い娘」の時分に父の従兄弟イサクと結婚したがイサクは既に四十歳だった。この年齢差を旧約の民は不自然と感じなかった。
リベカは「古代のイスラエル人の共通の母」として旧約時代の重要人物であるにもかかわらず創世記は彼女の死について記述を残していない。息子たちの和解の後にもイサクは登場するがリベカの姿はない。一世紀後半のユダヤの歴史家ヨセフスはイサクの死を記した箇所で彼が妻に先立たれていたことを記す。