【問】「御国の言葉を聞いて悟らなければ」とは、どういうこと?
【答】15節では「見る、聞く」「心で理解する」「悔い改める」という流れを示しています。従って「御言葉を聞いても心で理解せず(=本心から納得せず)、悔い改めに至らなければ、違う教えを説く者が現れると御言葉を捨ててしまう」。
(注)別エントリー「聞き分ける(心で理解する)」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/27138
【追記】
マタイ13章で主はたとえで話す理由を御説明されたが、「目で見る」「耳で聞く」という表現も「御教え(御言葉)を悟る」「心で理解する」ことの比喩で、それは「悔い改め」に導く。忠実な弟子に主は特別な「耳」(理解力)を与えるとイザヤ50章4節は預言し、理解力と悔い改めとは表裏一体である。
(注)別エントリー「試論:聞くだけの人を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5294
(注)別エントリー「試論:聞いても実行しない人を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7347