【問】主イエスはなぜマタイ5章「あなたたちは世の光」の後で「あなたたちの義がファリサイ派や律法学者の義に勝らなければ」と仰せになったの?
【答】イザヤ58章6節以下の通り古代のイスラエル人にとって「光」は善意の比喩で、サムエル上24章18節の通り「義(正しい)」も善意を意味します。
(注)別エントリー「『世の光』」も参照のこと。
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【追記】
マタイ5章で主は、「あなたがたは世の光」(14節)、「あなたがたの光を、人々の前に輝かせなさい。人々があなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」(16節)と仰せになり、行いを伴わぬ信仰など役に立たない(ヤコブ2章14節)ことをお話しになった。
【問】主イエスは「わたしは世の光」「あなたたちは世の光」などと仰せになりました。なぜ?
【答】「光」はイザヤ58章6節以下にある通り善意・温情・心配り・憐れみの業等の喩えで、人の心と表情を明るくさせ人々の心を温めます。「光」がなくなれば、人々の心と表情は暗くなり、心は冷え込みます。
【問】ヨハネ1章が「言」である神、主イエスを、「光」「まことの光」と呼ぶ理由は?
【答】イザヤ58章9節以下の通り「他人を苦しめたり小馬鹿にしたり罵倒したりすることを止め飢えている人や苦しむ人に配慮する」者を、「あなたの光は闇の中に輝き出て、闇も真昼になる」と喜ばれる神だからです。
【問】福音書には主イエスが「笑った」という記述がない、という議論があるそうです。
【答】イザヤ58章10節は隣人への温情を「光」に喩えます。理由は相手の心や顔を明るくするからです。主はヨハネ8章で「わたしは世の光」と宣言されましたが、これはいつも仏頂面の人が語る言葉ではありません。
【問】イザヤ58章6節以下では、困窮している人々に対する心配り・善意・温情・憐れみの心が「光」に喩えられていますが、なぜ?
【答】それらが相手の表情と心とを明るくさせ、また、それらが相手の心を、光が熱を与えるように温かくさせるからです。マタイ5章16節「あなたの光を輝かせなさい」。
【問】詩編4編7(6)節の「御顔の光」って、何の比喩?
【答】「わたしたちに御顔の光を向けて下さい」と、次節の「喜びをわたしの心にお与え下さい」とは、同じ事柄です。つまり、「主の御顔の光」とは、「主の輝くような笑顔」「主の喜び(主によって与えられる喜び)」「主の好意」等の比喩です。