試論:祈りが聞き入れられない人を140文字以内で

【問】神様に人一倍お祈りをしますが、聞き入れられていないと感じます。
【答】主イエスはマタイ18章「仲間を赦さない家来」の話で、「天の国」つまり御自分の御旨が実現されている領域の基本原則をお示しになりました。いくら神様に良い顔をしても他人には厳格過ぎる人の願いは聞き入れられません。

(注)別エントリー「試論:『主は優しい人に優しい』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8296

【追記】

出エジプト記34章で主の栄光がモーセに現わされた際、御自分が優しさと厳しさを兼ね備えた神であると主はモーセに明らかにされた。ダビデは詩編18編21(20)節以下で、主は優しい人には優しく厳しい人には厳しいと歌った。その人が隣人に敬意を示さない限り、主はその人の信仰を認められない。

マタイ25章45節で主は「この小さな者の一人にしなかったことは、わたしにしなかったことである」と仰せになり、隣人愛の実行を神への愛の基準にすると宣言された。従って「私は周囲とはトラブルを起こしてばかりですが、主よ、あなたへの愛だけは誰にも負けません」という自己申告は、通用しない。

主イエスはルカ6章45節で「人の口は、心からあふれ出ることを語る」と仰せになり、どんなに隠そうと努力したとしても、人の言葉の端々にその人の本性(秘められた内面)が露呈してしまうと示唆された。主はマタイ6章22節でも同様に、目つきやまなざしにその人の本性が露呈されることを説かれた。

(注)別エントリー「試論:『《実》=その人の発言』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/18905