試論:聖書と「煉獄」を140文字以内で

マタイ18章「仲間を赦さない家来のたとえ」には「牢役人」が登場し、5章でも人間関係がこじれて和解に至らない人が行く「牢」が登場するが、ここは「火の地獄」(22節)とは別物として扱われる。この牢は代償を払い続けることにより最終的に出ることができるが、ここをカトリックでは煉獄と呼ぶ。

(注)別エントリー「試論:マタイ18章34節『牢』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/18338

【追記】

主イエスの仰せの中には悪人が死んだ後に赴く場所として、<最後の審判>の「永遠の火」「永遠の罰」に象徴される、<無限の罰>のための場所(マタイ25章41節以下)が存在する。また別に人間関係がこじれて和解に至らない人が行く「牢」も存在するが、この「牢」は<有限の罰>の人の場所である。

【問】カトリックでは<有限の罰>の場所として<煉獄>について教えますが、<最後の審判>は「永遠の命」「永遠の罰」の二択です。
【答】<煉獄>とはあくまでも<有限の罰>の場所ですから、期間の長短の個人差はあれ、最終的には全員が<釈放>となって<出獄>し、「永遠の命」の方へと行きます。

黙示録20章13節には「海」が登場し「その中にいた死者を外に出した」と記される。「海」はミカ7章19節の通り古代のイスラエル人にとって<罪>や<咎>と関係している。しかし黙示録の「海」の中にいた死者は「火の池」には投げ込まれず、「海」自体が最終的には存在しなくなる(21章1節)。

(注)別エントリー「試論:黙示録の火の池を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5376