マタイ18章「仲間を赦さない家来のたとえ」には「牢役人」が登場し、5章でも人間関係がこじれて和解に至らない人が行く「牢」が登場するが、ここは「火の地獄」(22節)とは別物として扱われる。この牢は代償を最後まで払い終えることにより出ることができるが、ここをカトリックでは煉獄と呼ぶ。
(注)別エントリー「試論:黙示録の火の池を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5376
【追記】
マタイ12章32節は、主イエスの人間的属性だけを非難した者は赦されるが、主が聖霊によって悪霊を追い出したことを非難する者は赦されない、と記す。一ヨハネ5章16節以下も永遠の死に至る罪と死に至らない罪を分けて論じる。愛の掟に留まることを止める人(ヨハネ15章6節)が永遠の死に至る。
(注)別エントリー「試論:二種類の罪と『永遠の命』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9895