【答】なぜ《キリストの律法》こそが《真理》と言えるのですか?
【答】人間は誰しも、自分を尊重し敬意を払ってくれる相手に対して自然に、今度は相手を尊重し敬意を払おうと考えます。しかし逆に、自分が相手に粗末に扱われたと感じた時は、今度は相手を粗末に扱ってやろうという考えが生じて来ます。
(注)別エントリー「《キリストの律法》(マタイ7章12節)」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/18013
【追記】
【問】若い女性が「こいつ」「おまえ」などの粗い言葉遣いを避けるべき理由も、それですか?
【答】周囲の男性は、その若い女性が「こいつ」「おまえ」などの言葉遣いを平気でするのを見て自然に、ここぞとばかりに同じ女性に対して、「こいつ」「おまえ」などの粗い言葉遣いを当然のようにして来ます。
【問】若い女性が粗い言葉遣いを避けるべきなのは、本性を隠して猫を被るためですか?
【答】いいえ。相手を尊重し敬意を払うことによって、それが回り回って相手から自分が尊重され敬意を払ってもらうためです。言い換えれば、若い女性が周囲の男性たちの毒牙(悪だくみ)から自分自身を守るためです。
【問】マタイ7章12節には隣人愛はあっても、神への愛はありません。
【答】ヨハネ13章35節「あなたたちが互いを尊重し敬意を払い合うならば、そのことをもって皆は、あなたたちがわたしの弟子であると認める」。マタイ25章「最後の審判」では、隣人愛の実行が神への愛の実行だと評価されます。
【問】「キリストの律法」とは何ですか?
【答】マタイ7章12節「あなたが他の人からしてもらいたいことならなんでも、あなたから他の人にしなさい。これこそ律法〔であり預言者の教え〕」のことで御教えの基礎となる事柄であり、これが欠乏すると、人々は互いに隣人を侮り始め、世情は殺伐とします。
A.他人からしてもらいたいことを他人に行う(マタイ7章12節)。
B.他人からしてもらいたいことを他人に行わない。
C.他人からしてもらいたくないことを他人に行う。
D.他人からしてもらいたくないことを他人に行わない(トビト4章15節)。
「愛」はAとDであり「愛の反対」はBとCである。
(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12199