試論:黙示録成立年代の同定を140文字以内で

黙示録17章10節は、都にとっての五人の王が既に倒れ、その当時の王は六人目だと記す。エルサレムに君臨していたヘロデ王家の五人目の王であるアグリッパ二世がユダヤを去った後、事実上の王としてギスカラのヨハネが都で暴虐の限りを尽くしていたのは紀元六八年から六九年にかけての時期であった。

(注)別エントリー「エルサレムがバビロンと呼ばれた理由」も参照のこと。
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(注)別エントリー「戦争と飢餓:ある意味で実戦よりも残酷な」も参照のこと。
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【追記】

申命記22章5節は男性の女装を禁じた。この掟を古代ユダヤの歴史家ヨセフスは、社会秩序崩壊を防ぐ掟とみなした。主の御受難から三十数年後、独裁者(ギスカラのヨハネ)の下でエルサレムを恐怖支配していた武装勢力の集団は、白昼堂々女装しながら、市民に対し虐殺や略奪や婦女暴行等を繰り拡げた。

(注)別エントリー「『世も末』の徴を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「『荒廃をもたらす憎むべきもの』とは何か」も参照のこと。
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(注)別エントリー「ダニエル書9章の『七十週』預言」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/22

主はルカ21章20節以下において、エルサレムが敵に包囲された際は都に籠城してはならず都を離れるようにと予告されていた。三十数年後ヘブライ13章13節は「宿営(陣営)」という言葉で都を示し、そこを離れるよう促した。黙示録18章4節も都を「彼女」と呼び、残っていた人々に退去を促した。

(注)別エントリー「『ヘブライ人への手紙』が書かれた理由」も参照のこと。
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主の御降誕から第二神殿の滅亡までエルサレムに七人の「王」が君臨した。ヘロデ大王、アルケラオス、アンティパス、アグリッパ一世、アグリッパ二世がヘロデ王家の人で、ヘロデ王家のユダヤ退去後の独裁者ギスカラのヨハネが六人目に該当し、ローマ帝国に処刑されたシモン・バルギオラが七人目である。

(注)別エントリー「試論;黙示録18章を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:黙示録16章を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「あなた方は神と富に仕えることはできない」も参照のこと。
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〔注〕別エントリー「七つの山々の都エルサレム」も参照のこと。
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主はルカ21章20節以下で(紀元七〇年の)エルサレム滅亡及びその前後にユダヤを襲う「大いなる艱難」(23節)を予告された。また「異邦人の庭」(黙示録11章2節)を持つエルサレム神殿がまだ存在する時期に黙示録の内容を啓示され、エルサレム滅亡後も教会は存続すると希望をお与えになった。

使徒言行録でパウロの尋問に同席したヘロデ・アグリッパ二世は主の御降誕から第二神殿滅亡までの間にエルサレムで君臨した七人の王の一人で、ローマへの反乱に与せず神殿滅亡後ユダヤで返り咲いたが神殿が既に存在せず、その監督権を行使できぬ以上、有名無実の存在で、彼の死でヘロデ王家は断絶した。

(注)別エントリー「試論;黙示録17章『十本の角』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「ダニエル書9章の『七十週』預言」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論;『実現の日』を140文字以内で」も参照のこと。
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黙示録はヘロデ・アグリッパ二世をユダヤに返り咲いたとしても「第八の王」とは呼ばない。神殿の監督権を行使する人物こそ「王」の資格があると、当時のユダヤ人は認識していたが、神殿と都とが跡形もなく消滅してしまった後では、ヘロデ・アグリッパ二世は有名無実の存在で、「王」とは見なされない。

黙示録はヘロデ・アグリッパ二世をユダヤに返り咲いたとしても「第八の王」とは呼ばない。いかなる事情であれローマと一緒になって自分の国を滅ぼし、都と神殿を廃墟にしておきながら勝利者の顔をして戻って来た人物に、生き残ったユダヤの人々の心をつかめるはずなどなく、有名無実の王だからである。

紀元七〇年のエルサレム滅亡時にローマ軍へ投降したユダヤ人のうち、使徒言行録22章のパウロのようにローマの市民権を持つ者はローマ法の保護下にあるため留め置かれたが、そうでない者は妻子と共に奴隷とされて売り飛ばされた。こうして「一人は連れて行かれ、他の一人は残される」は現実となった。

(注)別エントリー「試論:ルカ19章41節を140文字以内で」も参照のこと。
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ルカ17章34節から35節で主は「一人は連れて行かれ、他の一人は残される」と繰り返されたが、では一体どこに「連れて行かれ」るのかを、ルカ21章24節では「捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる」と御説明された。これは大昔モーセがレビ記26章33節以下で預言していた話と同じである。

ヘロデ・アグリッパ二世の妹ベルニケ(使徒言行録25章13節)は年下のローマ軍最高司令官で副帝(次期皇帝)ティトゥスの愛人になっていた。ベルニケがローマの皇后になれば誰も兄妹に頭が上がらなくなるが、クレオパトラの再来を恐れたローマ人はティトゥスに愛人と別れるよう進言し、そうなった。

もしも仮にベルニケがローマの皇后になり、夫の皇帝ティトゥスにエルサレム神殿の再建の許可を願い出たならば、皇帝がそれを認めたかも知れずベルニケと兄がユダヤの人心を取り戻せた可能性も皆無ではなかった。だが歴史はそうは動かずローマ人はベルニケをティトゥスから遠ざけヘロデ王家は断絶した。

「天地が消え去る」の「天」とは、神がお住まいになる場所と見なされたエルサレム神殿とりわけその聖所を指し、二ペトロ3章はその滅亡が近いことを説く。「地」はエゼキエル7章2節同様、イスラエルの地を指す。紀元七〇年にエルサレムと神殿は滅亡しユダヤ(イスラエル人の国家)も同じく消滅した。

二ペトロ3章10節は「主の日」において「天は激しい音を立てながら消え失せ、自然界の諸要素は熱に熔解し尽くす」と予告した。数年後の紀元七〇年、神が住まわれると見なされて、「天」と同一視されていたエルサレムの神殿は、都の滅亡の際ローマ帝国軍によって火を放たれ、大音響と共に焼け滅びた。

ルカ21章32節で主は「全てのことが起こるまではこの時代は決して滅びない」と仰せになったが、「時代」に当たる原文の単語ゲネアは古代のギリシア語詩編94(95)編10節の「世代」にも用いられ、詩編のこの節ではゲネアを四十年とする。実際この主の仰せからおおよそ四十年後に都は滅亡した。

(注)別エントリー「試論;『今の時代』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論;『人心荒廃は滅亡の前兆』を140文字以内で」も参照のこと。
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プロテスタントの文語訳聖書『改訳 新約聖書』(1917年)はルカ21章23節を「地(ち)には大(おほひ)なる艱難(なやみ)ありて、御怒(みいかり)この民(たみ)に臨(のぞ)み」と訳し、ある人々がいわゆる「大艱難時代」と呼ぶ時期とは実は紀元七〇年の滅亡の前後に他ならないと示唆する。

(注)別エントリー「試論:携挙がない理由を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:主イエスと旧約聖書の預言を140文字以内で」も参照のこと。
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主はルカ21章23節でエルサレム滅亡とその前後のユダヤの苦難を予告されたが、『改訳 新約聖書』(1917年)では「大なる艱難」と日本語訳する。一世紀後半のユダヤの歴史家ヨセフスの記述通り、紀元六六年の大反乱の勃発から七三年のマサダ陥落までの七年間に、ユダヤは惨劇の連続を経験した。

(注)別エントリー「試論:『イエスとヨセフス』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11668

ルカ21章22節において、主イエス・キリストは、エルサレムの滅亡をもって旧約聖書の預言が全て成就すると明言されており、それは紀元七〇年に現実のこととなった。従って、既に旧約聖書の預言が全て成就している以上、現代や近未来の世界情勢に関して旧約聖書の預言から考える行為は無意味である。

(注)別エントリー「試論:聖書研究の目的を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8447

ルカ21章22節には「書かれていること」という言い回しが用いられているが、これはヨシュア記1章8節と同様に、「預言された事柄」「神から啓示された内容」などを意味する表現である。古代においては「書く(書いて記録に残しておく)」という行為それ自体が、非常に重要な意味を持つものだった。

主イエスはヨハネ5章39節で「あなた方は〔旧約〕聖書中に永遠の命が存在すると考え〔旧約〕聖書を研究するが〔旧約〕聖書はわたしに関してあかししている」と仰せになり、御自分と無関係の目的で〔旧約〕聖書を研究したとしても本当に重要な真理には全く到達することができないと、お教えになった。

(注)別エントリー「試論:『まこと(=真理)の神』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8706

旧約聖書の預言は第一義的に主イエス・キリストの到来及びその前後までの歴史的出来事をあかしするためのものであり、キリスト到来から約二千年後に生きる現代人が国際情勢を読み解くためのものではなく、国際情勢分析など本来の意義とは無関係の完全な逸脱行為であり、真理には絶対にたどり着けない。

(注)別エントリー「旧約聖書の預言書を研究する際の基本原則」も参照のこと。
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(注)別エントリー「予備的考察:いわゆる『エゼキエル戦争』」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:エゼキエル戦争を140文字以内で」も参照のこと。
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古代のヘブライ人は詩編78編69節の通り、エルサレム神殿の聖所を「天地」にたとえていた。これを踏まえれば主イエスのマルコ13章31節の仰せ「やがて天地は滅びるであろうが、わたしの言葉は決して滅びない」の意味は、「エルサレムと神殿の滅亡後も、わたしの教えと信仰は生き続ける」である。

(注)別エントリー「試論:『主の日』エルサレム滅亡を140文字以内で」も参照のこと。
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主はマタイ5章18節で、全てのことが実現して天地が消え失せるまではモーセの律法も消え失せないと仰せになり、ルカ21章22節ではエルサレム滅亡で預言が全て実現すると予告され、紀元七〇年にそれは成就した。詩編78編69節の通りヘブライ人はエルサレム神殿の聖所を「天地」にたとえていた。

ルカ19章で、主はエルサレムのために泣かれた。確かに主の予告の通り、約四十年後に都は滅亡した。だが同じ都は数日後に主御自身を殺す都でもあった。それでも主は、ヨナ書で神がニネベを惜しまれた以上に、エルサレムのために泣かれた。エルサレムが決して自分の非を認めようとはしないためである。

(注)別エントリー「試論:『滅びを避けるには』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5749

(注)別エントリー「試論:エゼキエル18章を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5726