試論:携挙がない理由を140文字以内で

一テサロニケ4章17節の原文で使われた古代のギリシア語「アエール」には「大気」の意味合いはあるが、現代人がイメージする「空中」のニュアンスはなく、現代人なら「空中」と呼ぶ領域に古代のヘブライ人が言及する際は「地と天の間」または「大空(ギリシア語訳でステレオーマ)」などと表現した。

(注)別エントリー「『携挙』:ギリシア語聖書本文で徹底検証【再投稿】」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7753

(注)別エントリー「試論:『一人は連れて行かれ〜』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5819

【追記】

本来「空中」と「大空」は別物で、例えば父親と幼児が向かい合って立ち幼児がその場でジャンプした時、幼児は「空中」にいても地上に立つ父親の身長には届かない。熱気球の有人飛行成功まで「空中」は、地上から両足が離れたとしても高度はさほどない状態を指し、「大空」と混同されることはなかった。

(注)別エントリー「ヘブライ語聖書は『空中』とは表現しない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4223

古代のヘブライ人(二コリント11章22節)の世界観には「空中」の概念がなく、現代人なら「空中」と呼ぶ領域を「地と天の間/天と地の間」また「〔天の〕大空/天空」(ギリシア語訳でステレオーマ)と表現したが、これらは一テサロニケ4章17節のギリシア語表現「アエール」とは全く一致しない。

(注)別エントリー「試論:『大艱難時代』を140文字以内で」も参照のこと。
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一テサロニケ4章17節の原文の単語「アエール」は、古代ギリシアの世界観では地上世界を象徴する元素で、聖パウロはエフェソ2章で、この単語を象徴的に引用して人間界を説明した。古代のヘブライの世界観に「空中」の概念はなく、聖パウロが一テサロニケ4章で言及するアエールは、地上を意味する。

(注)別エントリー「旧約聖書の預言書を研究する際の基本原則」も参照のこと。
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一テサロニケ4章17節の原文で用いられた古代のギリシア語「アエール」には、「大気」の意味合いはあるが現代人がイメージする「空中」のニュアンスはなく、同節が、「アエール」を語源とする英訳語「エアー」から「大空」の意味で解釈されるようになったのは、熱気球の有人飛行成功よりも後である。

(注)別エントリー「エゼキエル戦争を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4921

1783年の熱気球有人飛行成功後、英語圏では「エアー」という言葉が画期的な新技術の象徴となり、この単語に「大空」「浮揚」「飛行」等の新しいニュアンスが加わった。かくして、熱気球発明後の英語圏の人々は一テサロニケ4章17節の「エアー」という表現から従来なかった意味を感じ取り始めた。

20世紀に入り飛行機が発明され、誰でも航空機で大空高くにまで到達することが可能になると、現代人にとって「エアー」は、いよいよ「大空」「浮揚」「航空」といったニュアンスを強く連想させる単語となり、そのようなニュアンスで聖書を読むことについて現代人は当然と考え疑わなくなってしまった。

(注)別エントリー「予備的考察:いわゆる『エゼキエル戦争』」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4584

一テサロニケ4章17節で用いられた古代のギリシア語「アエール」には、「大気」の意味合いはあるが現代人がイメージする「空中」のニュアンスはなく、古代ギリシア語訳の詩編18編12節にもアエールが用いられてはいるが、新共同訳ではヘブライ語原文からの訳語として「立ちこめる霧」としている。