試論:「キスレウの月の25日」を140文字以内で

バビロン捕囚後の古代ユダヤにはエジプト以来の暦(申命記16章1節:アビブの月)とバビロンの暦(ネヘミヤ2章1節:ニサンの月)の二つが存在した。これを踏まえればハガイ2章「第九の月の二十四日」と一マカバイ4章52節「キスレウ(第九)の月の二十五日」とは同一の日を指す蓋然性が大きい。

(注)別エントリー「試論:『古代ユダヤの二つの暦』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

主イエスはマタイ21章42節で、詩編118編22節を踏まえ御自身を「家」の《隅の親石》に喩えられた。他方ハガイ2章は《主の神殿(=神の「家」)の基》が置かれる日(18節)としてヘブライ人の暦で「第九の月の二十四日」という日付を何度も強調する。これはユダヤ教のハヌカと同時期である。

(注)別エントリー「試論:神殿奉献記念祭(ハヌカ)を140文字以内で」も参照のこと。
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ハガイ2章では「神殿の基」(18節)が備えられる日である、古いヘブライの暦で「第九の月の二十四日」という日付が何度も提示される。この日は季節としては冬であり主イエスは御自身〔の体〕を「神殿」(ヨハネ2章19節)あるいは「[神の家の〕隅の親石」(マタイ21章42節)等と表現された。

エズラ10章9節以下では、ユダとベニヤミンの男性たちが異邦人の娘たちとの結婚を祭司エズラに咎められ、エルサレム神殿の広場に座っていたと記す。季節はヘブライの暦の「第九の月の二十日」と冬であり恐れと雨で人々は震えていた。この時の雨量は大集会が雨天でも野外で決行可能な程度だと分かる。

(注)別エントリー「試論:古代ユダヤの『第九の月』を140文字以内で」も参照のこと。
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有名な「隅の親石」という表現をテーマにしてペトロの手紙一の2章では解説を行う。まず6節で「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することがない」とイザヤ28章16節を引用し、7節では、これを主イエス・キリストの境遇と関連付けて説明する。

主はマルコ12章10節で、「家を建てる者の捨てた石が隅の親石となった」と詩編118編22節を引用されて、イザヤ28章16節の預言「わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の貴い隅の親石。信じる者は慌てることがない」の御自身における成就を御説明された。

ハガイ2章は何度も「第九の月の二十四日」を強調する。これは紀元前六世紀にエルサレムで神殿の基が置かれた日(18節)であり、また紀元前二世紀の神殿奉献(一マカバイ4章52節)とも無関係ではあり得ない。この時期にユダヤ教ではハヌカを祝い、他方キリスト教では主の御降誕を同じ時期に祝う。

キリスト教が主の御降誕を祝う時期に、ユダヤ教もハヌカ(ヨハネ10章22節)を祝う。ハヌカは、紀元前二世紀にエルサレムの神殿が清められ新生したこと(一マカバイ4章52節)を祝う。主もヨハネ2章で御自身の体を神殿に喩えられた。キリスト教の伝統では、主の御降誕はハヌカと同時期であった。

ルカ24章のエマオでの御出現において主は、旧約聖書とは御自分について証しするものであり、実際その詳細について「全体」の説明を始めると、何時間あっても語り尽くせないことをお示しになった(27節)。主はユダヤの人々に対して以前にも同じ事柄をお話しになられていた(ヨハネ5章39節等)。

主イエスはヨハネ5章39節で「あなた方は〔旧約〕聖書中に永遠の命が存在すると考え〔旧約〕聖書を研究するが、〔旧約〕聖書はわたしに関してあかししている」と仰せになり、御自分とは無関係の目的で〔旧約〕聖書を研究しても、本当に重要な真理には全く到達することができないと、お教えになった。

(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『真理は街頭でよろめく』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:真理(まこと)の反対は?を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『まこと(=真理)の神』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:聖書研究の目的を140文字以内で」も参照のこと。
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