【問】ルカ12章36節は「主人が婚宴から帰って来る」という表現を用いますが、「婚宴」は何を暗示しますか?
【答】主イエスが御受難と御復活の間に《新しい天・地・エルサレム》を創造され、そこに「アブラハムのふところ」で待ち続けていた旧約の義人たちを迎え入れられ喜びを共にされたことです。
(注)別エントリー「試論:新しい天・地・エルサレムを140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
【問】では、「主人が婚宴から帰って来る時」とは、何のことですか?
【答】御復活された主イエスが、再び弟子たちと出会う時のことです。実際この場面で予告された通り、主イエスはヨハネ21章の「二度目の大量の奇跡」の際には、岸辺で弟子たちのために朝食を用意して待たれ、「給仕」をされました。
【問】「主人が婚宴から帰って来る時」とは使徒たちだけに向けられた御言葉ですか?
【答】いいえ。黙示録3章20節に「わたしの声を聞いて開く者があれば、わたしはその者と一緒に食事をする」とある通り、全信者に向けられていますが、直前の19節では「悔い改めよ、熱心に努めよ」と勧めています。
ルカ12章36節以下「婚宴帰りの主人が戸を叩く時、目を覚ましていて、すぐ開けようと待つ人は幸い。主人は帯を締め、この僕(しもべ)たちを食事の席に着かせ給仕してくれる」ヨハネ21章9節以下「陸に上がると、炭火が起こしてあって上に魚があり、パンもあった。『さあ来て食事をしなさい』」。
(注)別エントリー「試論:『一緒に食事をする』を140文字以内で」も参照のこと。
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ルカ23章42節で善き盗賊は、主イエス・キリストに属する民がいる場所を「あなたの御国」と呼んだ。そこを主御自身は続く43節で「楽園」と呼ばれた。主イエスは御受難と御復活との間に《新しい天・地・エルサレム》と呼ばれる場所を創造され、御自身と御自分の民の《復活の体》もまた創造された。
(注)別エントリー「試論:キリストの『バシレイア』を140文字以内で」も参照のこと。
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ヨハネ3章29節の通りヘブライ人は神を花婿に、神の民を花嫁に喩えた。従ってマタイ22章8節以下の通り、婚宴とは神が神の民の中の相応しい人々を神の国に迎え入れ喜びを共にすることである。主イエスは御受難と御復活の間に新しい天・地・エルサレムを創造され、旧約の義人たちを迎え入れられた。
(注)別エントリー「試論:『聖書が実現するため』?を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスは福音書で自身の御受難と御復活を随所で暗示されたが、御受難と御復活の間に御自分がどんな働きをなさるかについても、ヨハネ14章2節から3節で予告された。それはイザヤ65章17節以下の「新しい天・地・エルサレムの創造」預言の成就であり、御自身の復活の体の創造で完成の時を見た。
(注)別エントリー「主の御復活とともに創造された事柄とは」も参照のこと。
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古代のイスラエルは「神」と「神の民」の関係を「花婿」「花嫁」に喩えた。主イエスは御自身の御復活つまり「復活の体」(一コリント15章)創造に際し、イザヤ65章で預言された「新しい天・地・エルサレム」を創造されて、新しい「神の民」を迎える準備を完了された(ヨハネ14章2節以下参照)。