福音書に救い主の誕生日の記述はないが、旧約聖書のハガイ2章には「神殿の礎」すなわち《神の家の隅の親石(=主イエス・キリスト)》が備えられる日として、古いヘブライの暦で「第九の月の二十四日」という冬の日付が何度も啓示される。この日はユダヤ教のハヌカ(神殿奉献記念祭)と同時期である。
(注)別エントリー「聖書にはクリスマスの日付が載っていますか???」も参照のこと。
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【追記】
有名な「隅の親石」という表現をテーマにしてペトロの手紙一の2章では解説を行う。まず6節で「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することがない」とイザヤ28章16節を引用し、一ペトロ2章7節ではこれを主イエスの境遇と関連付けて説明する。
主はマルコ12章10節で、「家を建てる者の捨てた石が隅の親石となった」と詩編118編22節を引用され、イザヤ28章16節の預言「わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の貴い隅の親石。信じる者は慌てることがない」の、御自身における成就を御説明された。
【問】ハガイ2章がキリストに関して預言していると、なぜ言えるのですか?
【答】ハガイ書はゼルバベルの特別な「選び」を預言しましたが、ゼルバベル本人はペルシア王国の官僚の一人に過ぎませんでした。ハガイはゼルバベルの子孫から真の「ユダヤ人の王」(マタイ2章2節)が現れると預言しました。
(注)別エントリー「試論:『ダビデ王家とキリスト』を140文字以内で」も参照のこと。
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キリスト教が主の御降誕を祝う時期に、ユダヤ教もハヌカ(ヨハネ10章22節)を祝う。ハヌカは、紀元前二世紀にエルサレムの神殿が清められ新生したこと(一マカバイ4章52節)を祝う。主もヨハネ2章で御自身の体を神殿に喩えられた。キリスト教の伝統では、主の御降誕はハヌカと同時期であった。
(注)別エントリー「試論:『体も家も自身の住まい』を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはヨハネ5章39節で「あなた方は〔旧約〕聖書中に永遠の命が存在すると考え〔旧約〕聖書を研究するが〔旧約〕聖書はわたしに関してあかししている」と仰せになり、御自分と無関係の目的で〔旧約〕聖書を研究したとしても本当に重要な真理には全く到達することができないと、お教えになった。
(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『真理』あるいは三位一体を140文字以内で」も参照のこと。
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主はルカ21章22節でエルサレムの滅亡をもって旧約聖書の預言が全て成就すると仰せになり、既にそれは紀元七〇年に現実となった。現代の世界情勢を安易に旧約聖書の預言に関連付ける発想は主イエスの仰せには合致しておらず、疑う余地なくこの発想はキリスト教的でなくキリスト教の外部に由来する。
(注)別エントリー「試論:非キリスト教的な預言解釈を140文字以内で」も参照のこと。
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