【問】マラキ3章19節は高慢な者と悪を行う者を同列に論じますが、なぜですか?
【答】詩編1編1節の通り旧約の民は神に従わぬ者と罪人と高慢な者を同列に扱いました。エバは創世記3章で神のようになることを望みましたが、マリアはルカ1章48節で自分は主のはしために過ぎないと謙遜しました。
(注)別エントリー「試論:神と共にいるための三条件を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/18936
【追記】
詩編1編1節は神と共にいるための必要三条件を記す。一つ目は神に逆らう人に同調しないこと、二つ目は罪や悪に走らないこと、三つ目は高慢心を捨てることである。高慢で周囲の人々を粗略に扱う人は、いつか必ず神をも粗略に扱う。神の御独り子の母となった女性が高慢心とは無縁であるのは当然である。
(注)別エントリー「試論:『しもべ』と『はしため』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9785
(注)別エントリー「試論:『わたしの主』と母マリアを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8575