詩編1編1節は神と共にいるための必要三条件を記す。一つ目は神に逆らう人に同調しないこと、二つ目は罪や悪に走らないこと、三つ目は高慢心を捨てることである。高慢で周囲の人々を粗略に扱う人は、いつか必ず神をも粗略に扱う。神の御独り子の母となった女性が高慢心とは無縁であるのは当然である。
(注)別エントリー「試論:『しもべ』と『はしため』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『わたしの主』と母マリアを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『恵みとへりくだり』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
主イエスは福音書で「自ら高ぶる者は低くされ、へりくだり自ら低くなる者は高くされる」と繰り返された。神の御独り子の母に選ばれたにも関わらず「わたしは主のはしため」と繰り返し、実際「人となられた神」に生涯仕え続けた女性が、「神と共に歩んだ」点においてエノクに引けを取るなどありえない。
(注)別エントリー「試論:『謙遜の極み故の被昇天』を140文字以内で」も参照のこと。
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箴言3章34節は「神は高慢な者を敵とし、へりくだる者に恵みをお与えになる」と説く。「自分は誰かの召使になった覚えはないし、他の人のためにあれこれするなど、やってられない」と放言する人は「キリストの律法」を絶対に実行できないし、神がお与えになる恵みもまた、永遠にその人には届かない。
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』と世情を140文字以内で」も参照のこと。
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【問】なぜ受胎告知の際にマリアは、承諾の返答よりも先に「わたしは主のはしため」と再確認しましたか?【答】マリアはそう前置きすることで、「わたしは神の御独り子の母となることを承諾しますが、決して『神のようになること』(創世記3章5節)を望むからではありません」と意思表示をしました。
(注)別エントリー「試論:「わたしの主のお母さま」を140文字以内で」も参照のこと。
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