試論:洗礼者が生き返った???を140文字以内で

【問】福音書で「洗礼者の死」の箇所等を読むと、洗礼者が生き返った存在がイエスだとヘロデは思ったようで民衆の一部も同意見でした。どういうこと?
【答】「死者の復活」について、当時のユダヤ人の間に様々の〔間違った〕認識が存在したことを示唆しています。コヘレト12章7節が正しい答えです。

(注)別エントリー「試論:人間の完成形(最終形態)を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

ヘブライ5章9節は「キリストが〔御受難を経験された後に〕完全な者になられた」と記す。神でもあり人間でもあるキリストは、神としては天地創造以前から既に当然だが完全な者である。人間としては御受難を経験された後「復活の体(=天上の体、霊の体)」すなわち人間としての完成形へと到達された。

(注)別エントリー「試論:神であり人であるキリストを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスは、ルカ9章の「主の変容」で三人の使徒に、「天上の体」(一コリント15章40節)すなわち死者の復活後の人間の姿(同章35節以下)をお示しになったが、当時三人の使徒は全く理解できなかった。「人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は愛する者たちに準備された」(同2章9節)。

(注)別エントリー「試論:ルカ9章『主の変容』を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスは福音書で自身の御受難と御復活を随所で暗示されたが、御受難と御復活の間に御自分がどんな働きをなさるかについても、ヨハネ14章2節から3節で予告された。それはイザヤ65章17節以下の「新しい天・地・エルサレムの創造」預言の成就であり、御自身の復活の体の創造で完成の時を見た。

主イエスの御降誕は「肉の体」つまり人間としての誕生だったが、この世に来られた究極の目的が「贖(あがな)い」である以上、「上げられ(十字架上で顕示され)た」後の死と御復活によって悪魔の罪と死の支配を終わらせ人類に永遠の命と「霊の体」を準備して目的を達成したことの方がより重要である。

(注)別エントリー「試論:永遠の命(=天国の福楽)を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:真理と贖(あがな)いを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:贖(あがな)いを140文字以内で」も参照のこと。
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