【問】主がマタイ19章21節で金持ちの青年に仰せになった、「完全」の意味とは?
【答】5章48節「天の御父が完全であられるように」の「完全」でルカ6章36節と比較すると「憐れみ深い人」のことです。主は青年に「あなたには憐れみ深さという点でまだまだ再考の余地がある」と示唆されました。
(注)別エントリー「試論:金持ちの青年は拒まれた?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/27813
【追記】
【問】この「金持ちの青年」は、「永遠の命」を得ることができたでしょうか?
【答】彼はモーセの律法の掟を、彼自身の言葉によれば「そういうことは全て守ってきました」と言っています。また悲しむほどに主の御言葉を真面目に受け止め、決して適当に聞き流して「愛想笑い」したりなどしませんでした。
(注)別エントリー「『金持ちの青年』との対話」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/27797
主イエスはヨハネ14章6節で「わたしは真理」と仰せになりピラトの尋問の際も「真理」という語を使われたが、この語は、旧約聖書で「まこと」と日本語訳されるヘブライ語に対応し、意味も漢字の「真、実、信、誠」に対応する。従って「嘘も方便」や「面従腹背」(マタイ7章21節)は認められない。
(注)別エントリー「真理(まこと)の神」も参照のこと。
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