主イエスはマタイ10章で十二人をお選びになり、「汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いを癒す権能」を授けられた。マルコ3章14節は「十二人」選抜の目的を御自分の傍に置くためと記す。その一人は泥棒(ヨハネ12章6節)となり、銀貨三十枚(マタイ26章15節)で、自分の師を売り渡した。
(注)別エントリー「試論:『預言や奇跡よりも』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
主イエスはマタイ7章22節以下で、預言や悪霊を追い出すことや奇跡よりも、悪を行わないことこそが重要で御自分の弟子である証明だと教えられた。イスカリオテのユダは汚れた霊を追い出す権能と病気を癒す力を使徒として与えられたが(マタイ10章)、献金を盗んでいたためサタンが彼の中に入った。
(注)別エントリー「試論:『献金泥棒』を140文字以内で」も参照のこと。
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【問】なぜイスカリオテのユダは主イエスを裏切りましたか?
【答】ヨハネ12章6節は彼が献金泥棒的な行為をしていたと記しています。「茨の中に落ちた種とは、富の誘惑その他の欲望が心に入り込み御言葉を覆い塞いで実らないこと」。財布のごまかしに象徴される面従腹背が、彼を破滅へと導きました。
【問】使徒言行録5章にはアナニアとサフィラの話がありますが教訓は何ですか?
【答】主イエスはヨハネ14章6節で「真理(アレテイア)」を自称され、御自分が真心には真心でお返しになる神であると仰せになりました。詩編12編は、ヘブライの信仰は嘘偽りや面従腹背とは相容れないと教えています。
主イエスはヨハネ14章6節で「わたしは真理」と仰せになりピラトの尋問の際も「真理」という語を使われたが、この語は、旧約聖書で「まこと」と日本語訳されるヘブライ語に対応し、意味も漢字の「真、実、信、誠」に対応する。従って「嘘も方便」や「面従腹背」(マタイ7章21節)は認められない。
(注)別エントリー「真理(まこと)の神」も参照のこと。
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【問】プロテスタントの文語訳聖書『改訳 新約聖書』(1917年)では、ヨハネ14章6節の「真理」に「まこと」と仮名を振ります。理由は?
【答】キリスト教の三位一体の神を、ヨハネはしばしば「真理」と呼びますが、この主なる神に対する信仰は、二心・言行不一致・面従腹背等とは相容れません。
【問】ヨハネ12章でユダがベタニアのマリアをなじった時、彼に信仰はありましたか?
【答】詩編12編の5節までにある通り旧約の民は原則として、口先だけ達者でも言行不一致の人や面従腹背の人の中には信仰の存在を認めていませんでした。献金泥棒に手を染めてから彼の信仰は事実上、失われました。
【問】主イエスはなぜマタイ23章で律法学者たちやファリサイ派の人々を厳しく批判されましたか?
【答】その理由は「彼らは言うだけで実行しない」(3節)と説明されています。旧約の民は詩編12節にある通り本来、言行不一致の人々や面従腹背の人々の中には、信仰の存在を認めてはいませんでした。