《御父である神、主》と《御子である神、主イエス》とは、詩編110編1節では御父は「主」、御子は「わが主」でありマタイ22章44節も御父は「主」、御子はダビデの言う「わたしの主」である。ルカ1章43節でエリサベトは詩編110編1節を踏まえ、マリアを「わたしの主のお母さま」と呼んだ。
(注)別エントリー「マリアを『神の母』と呼ぶ聖書的根拠」も参照のこと。
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ルカ1章には「マリアの賛歌」があるが、内容は「神は高慢な者を敵とし、へりくだる人に恵みをお与えになる」(箴言3章34節、ヤコブ4章6節、一ペトロ5章5節)と一致する。主の周囲でへりくだりがどれほど重視されていたかを、「主のはしため」(ルカ1章38節、48節)という言葉が象徴する。
(注)別エントリー「試論:『主のはしため』を140文字以内で」も参照のこと。
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ルカ1章「マリアの賛歌」で、聖母は御自分を「身分の低い(タペイノス)」「はしため」と表現されたが、このギリシア語「タペイノス」は古代のギリシア語訳ヨブ記22章29節にも見られ、ヨブ記のヘブライ語本文では「目を伏せる」となるが、この所作はヘブライ人にとってへりくだりを象徴していた。
聖母は「わたしの主のお母さま」(ルカ1章43節)となられた方ながら、「わたしは主のはしため」(38節)と自称されたが、ペトロとヤコブは「神はへりくだる人に恵みをお与えになる」と書いた。「神の御独り子の母」となられた女性のへりくだりと恵み(ルカ1章28節)とは、いかばかりだろうか?
(注)別エントリー「試論:初代教会と箴言を140文字以内で」も参照のこと。
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聖母マリアは「わたしの主のお母さま」(ルカ1章43節)となられた方でありながら、「わたしは主のはしため」(38節)と自称されるほど高慢心のかけらもない謙遜そのものの方であった。従って、高慢心との訣別こそが「聖母マリアへの真の信心」へと踏み出す最初の一歩であるのは、至極当然である。
(注)別エントリー「試論:『救い主の母であること』を140文字以内で」も参照のこと。
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受胎告知の際マリアは「恵まれた方」(新共同訳)と呼ばれたが、「恵まれた」とは、
《〔神からの〕とめどもない好意を得た》
の意味で、古代ギリシア語訳箴言を参照すると比類のないこの《好意》は、彼女の「へりくだり」(箴言3章34節)と「善のみの追求」(同11章27節)に対する、恵みである。
(注)別エントリー「試論:『聖寵充ち満てるマリア』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:無原罪の御宿りを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:聖母崇敬の理由を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『聖母マリアは真の聖櫃』を140文字以内で」も参照のこと。
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ヘブライ2章13節以下は、御父が御自分に委ねられた者たちが人間である以上、御子も神のままで神であられながら人間の肉体と魂を担われたが、それは悪魔の罪と死の支配から人々を解放するためと記す。マリアの賛歌は神が人間の肉体と魂を担われた事実を「偉大なこと」(ルカ1章49節)と表現した。
ヨハネ1章14節は神の御独り子が恵みと真理に満ちて人間となられたことを記すが、ヤコブ4章6節と一ペトロ5章5節はともに「神は高慢な者を敵とし、へりくだる者に恵みをお与えになる」と強調し、ルカ1章は「わたしは主のはしため」とへりくだった女性こそが御独り子の母となったことを特筆する。
(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章14節とマリアを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『イエスとマリアの関係』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『まこと(=真理)の神』を140文字以内で」も参照のこと。
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ルカ11章28節のギリシア語本文を読むと主は前節の「ある女」の発言を否定しておらず、逆に強く同意している。主は「もちろんそうだがさらに(母に関して)言えば、神の言葉を聞いてそれを守る人は幸いだ」とは仰せになったが、母は神の言葉を聞かないとか守らないなどとは一言も口にされていない。
御自分の母を称える女性の言葉に対し主はルカ11章で神の言葉を守る人こそ幸いと答えられた。ヨハネ14章で主は「わたしを愛する人はわたしの言葉を守る」と仰せになられたが、マリアが母として主を誰よりも愛しておられたことには疑う余地がなく、マリアが神の言葉を守らないことも当然ありえない。
(注)別エントリー「試論:主イエスへの愛を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『新しい契約』を140文字以内で」も参照のこと。
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御子が幼子の頃やカナでの婚礼の折を除けば、人々から御子が尊敬や賞賛を受けられている場所にいて御自分も同じく栄誉に与るということを、聖母は基本的に避けられていた。しかしゴルゴタで御子が人々から嘲りや罵りの的となられた際には十字架の傍らに立たれ、御子と最も苛酷な時間を共に過ごされた。
(注)別エントリー「試論:聖母マリアってどんな方?を140文字以内で」も参照のこと。
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カトリックで聖母を指す表現「天の門」は、聖書では創世記28章17節にのみ登場し、同節は主がおられた場所を「なんと畏れ多い場所」「天の門」と呼ぶ。主を宿した「胎」(ルカ11章27節)であるマリアを、同様に《なんと畏れ多い女性》と感じるのは、古代のイスラエル人の感覚として当然である。
(注)別エントリー「試論:『神の都市』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『偉大なこと』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「ルカ福音書の聖母とサムエル記下の神の櫃」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『受肉』を140文字以内で」も参照のこと。
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ヨハネ2章5節は、まさに御子イエスの「時」が近づき自分の許からいよいよ世に御子を送り出すに当たっての、この世の人々に対する、母マリアの強い願いと最後の伝言を記す。「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」。これを最後に新約聖書には、母が発した言葉は記録されてはいない。
(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『言(ことば)』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『福音書を読まないこと』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『主イエスこそ真の花婿』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:聖母の人となりを140文字以内で」も参照のこと。
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