【問】ヤコブ2章13節「他人に対する憐れみの心がない者には憐れみのない裁きが下される」の後の「憐れみは裁きに打ち勝つ」の意味とは?
【答】マルコ11章25節「誰かに対して何か恨みに思うことがあるなら赦してあげなさい。そうすればあなたたちの天の父も、あなたたちの過ちを赦して下さる」。
【追記】
主はマタイ18章21節以下で、隣人に向かって情け容赦ない態度を取る人に対しては、神もまた情け容赦ない裁きを行うと仰せになった。ヤコブ2章13節はまさに同じ事柄を記すが、既に山上の説教でも取り上げられている。マタイ5章7節「憐れみ深い人は幸いである。その人は憐れみを神から受ける」。
(注)別エントリー「あなた方も憐れみ深い者となりなさい」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4346
【問】「人を裁くな。自分自身が裁かれないようにするためである」。なぜ?
【答】神なる主は出エジプト34章7節でモーセに、御自分が優しさと厳しさを兼備する神であることをお伝えになりました。ダビデも詩編18編26(25)節以下で、主は優しい人には優しく厳しい人には厳しい、と歌いました。
主はマタイ18章22節では「七回どころか、七の七十倍までも赦しなさい」、マルコ11章25節では「誰かに対して、何か恨みに思うことがあるなら、赦してあげなさい。そうすれば、あなたたちの天の父も、あなたたちの過ちを赦して下さる」と仰せになり、信仰における「赦し」の重要性を強調された。
(注)別エントリー「試論:赦しは救いの鍵を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5382