試論:ルカ12章40節を140文字以内で

【問】「人の子(=主イエス御自身)は思いがけない時に来る」「あなたたちも用意(準備)していなさい」? 何のこと?
【答】御自分の不在期間が長引くにつれ、弟子たちの中で間違った考えを持った王様(一コリント4章8節)気取りの浅薄な人々が必ず現れ、他の信者たちを小馬鹿にし始めるからです。

(注)別エントリー「試論:一コリント4章の『王様』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

【問】「人の子(=主イエス御自身)は思いがけない時に来る」「あなたたちも用意(準備)していなさい」? 何のこと?
【答】シナイ山でモーセがなかなか戻って来なかった時、しびれを切らした人々は金の子牛の像を造らせて、本来の信仰の姿とは異なるけれどもそれらしく真似た「礼拝」を始めました。

主イエスをヨハネ1章1節は「言(ことば)」つまり《人々の前に御姿を現され御自ら御教えをお話しになる神》と呼ぶ。主イエスに従う人々にとって「神の御言葉」とは、まず何より主イエス御自身の仰せである。聖書やキリスト教に関して話題にしても肝心の主イエスの御教えを避ける人々は眉唾物である。

一ヨハネ4章は、信者を自称しながら世間の事柄ばかり話題にして主イエスの福音の中身に関して頑に触れようとせず沈黙する人々を、「偽預言者」「反キリストの霊」などと呼ぶ。2章19節は「彼らはわたしたちから去って行った」「元々仲間ではなかった」「仲間ならとどまっていた」とその末路を記す。

二ペトロ2章は「偽教師」への警戒を呼びかける。彼らは「滅びをもたらす異端を持ち込み、主を拒む」(1節)、「欲が深く虚言で人々を食い物にする」(3節)、「厚かましく、わがまま」(10節)「昼間から歓楽にふけるのを愉しみとする」(13節)「無意味な大言壮語」(18節)等の特徴を持つ。

(注)別エントリー「試論:主イエスと旧約聖書の預言を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:旧約聖書の預言を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:神の国の到来と『主の日』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:旧約聖書の意義を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:携挙がない理由を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『携挙』の否定を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:有人気球と『空中』の拡大を140文字以内で」も参照のこと。
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一ヨハネ4章2節とヨハネ1章14節を照合すると「惑わす霊」の特徴は、主イエスが公生活中に仰せになった「主の御言葉」の内容(掟や戒め)に頑として触れようとしない点で、キリスト不在のキリスト教と呼ぶべきものへと信仰を換骨奪胎し、信者を福音書の主の御言葉から遠ざけることこそ目的である。

(注)別エントリー「試論:『言(ことば)である神』を140文字以内で」も参照のこと。
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主はルカ6章46節で「あなたたちはわたしのことを『主よ、主よ』と呼んでおきながらどうしてわたしの言うことを行わないのか」と仰せになった。さらに次節以下では「わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞きながら聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている」とお教えになった。

ダニエル9章24節はメシアに関して預言の時代を封印する存在だと預言し、ルカ21章22節で主イエスは旧約聖書の全預言が(紀元七〇年の)エルサレム滅亡で成就すると仰せになった。故に現代や近未来の国際情勢と旧約聖書の預言は無関係で、関係ありとする強弁は、キリスト教の範疇を逸脱している。

主イエスはマタイ7章15節で貪欲こそ偽預言者の特徴であると教えられた。ペトロも第二の手紙の2章で同様に、貪欲こそ偽教師の特徴であると教えた。偽預言者も偽教師も一般の信者が真面目に働く時間帯に美食を貪り、旅行・観光・娯楽施設と遊興三昧の日々を送り、神について考えるのは片手間である。

(注)別エントリー「試論:『迷信としての終末預言』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『真の預言者すらいない』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「旧約聖書と『偽教師』」も参照のこと。
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