試論:ヨハネ20章8節を140文字以内で

ヨハネ20章8節「先に墓に着いた、もう一人の弟子も入って来て、見て、信じた」同2章19節以下「イエスは仰せになった。『この神殿を壊しなさい。三日で再び建つだろう』。イエスが仰せになった神殿とは御自分の体であった。イエスの御復活の後、弟子たちは仰せを思い出し、聖書と仰せを信じた」。

【追記】

主イエスはヨハネ2章19節で、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直して見せる」の御言葉を残された。同21節は、御自分の体を主イエスは神殿と呼ばれたと説明する。しかしマタイ26章61節にある通り、この時の主の仰せは、最高法院が主に死刑を宣告するに至る際、重大な意味を持つものだった。

(注)別エントリー「試論:福音書と『西遊記』の違いを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「イエス・キリストと天の雲」も参照のこと。
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《体も家も自身にとっての住まい》(ヨブ4章19節参照)として「体」と「家」とを重ねるヘブライの世界観を踏まえ、主イエスは、《人となった神の子である自身の体》と《神の家=神殿》を重ね「三日で建て直して見せる」と宣言されたが、イエスを冒瀆者として葬り去ろうとした人々には通じなかった。

(注)別エントリー「試論:マタイ21章42節『家』を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはイザヤ28章16節や詩編118編22(21)節を踏まえて御自分を「隅の親石」と呼ばれた。ヨハネ2章17節の通り「家」は神の家つまり神殿を指す。「あなたたち民の指導者は神殿の拡張工事には熱心(同章20節「四十六年」)でも救い主を邪魔者扱いするが、わたしから救いは始まる」。

(注)別エントリー「聖書にはクリスマスの日付が載っていますか???」も参照のこと。
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ヨハネ2章17節は詩編69編10(9)節を引用し、

「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」

と記す。「あなたの家」は神殿を指し、「熱意が食い尽くす」もヘブライ語由来の表現で、

「あなたの家を思う熱意がわたしを突き動かす」
「わたしはあなたの家を思う熱意に駆られる」

の意味合いである。

(注)別エントリー「試論:『神殿で商人を追い出す』を140文字以内で」も参照のこと。
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過越祭には過越の小羊が不可欠だった。祭のために世界中の遠方から都に集まる古代のユダヤ人は羊を連れて旅する代わりに羊を現地調達した。世界中のユダヤ人からも集められた神殿税は過越の小羊の準備にも当てられたが、それの度が過ぎて神殿の境内が家畜市場の様相を呈していた有様に主は憤られた。

(注)別エントリー「試論:『身代わりの羊』を140文字以内で」も参照のこと。
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創世記の2章と3章では、人間は「土(塵)」に由来し「土(塵)」に還る存在とする。創世記の記述に基づきヨブ記4章19節は「人は塵の中に基を置く土の家に住む者」と記す。ここでは人間の体を「土の家」と表現し、古代のヘブライ人が「(人間の)体」と「家」とを重ねて考えていたことを示唆する。

(注)別エントリー「試論:『土』と『肉』を140文字以内で」も参照のこと。
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